光州(クァンジュ)の国立5・18民主墓地の無名烈士墓域に埋葬され、40年を経て名前が確認されたヤン・チャングン烈士が、5・18民主有功者として登録される道が開かれる見通しだ。ヤン烈士が亡くなったのは、「花ざかりの」16歳の時だった。
18日に5・18真相究明調査委員会の調査報告書を確認すると、5・18民主化運動時に光州の崇義実業高校の1年生だったヤン・チャングンさんは、1980年5月19日に休校措置が下されると、友人たちとデモ隊に合流。5月21日午後9時ごろ、光州南区松岩洞(ナムグ・ソンアムドン)のナムソン練炭前で戒厳軍の銃弾に倒れた。
小説『少年が来る』の実際の主人公であるムン・ジェハクさんは、小学校の同窓だったヤン・チャングンさんの死を見てデモ参加を決意した。
ヤン・チャングンさんが一時、無名烈士の墓域に埋葬されていたのは、当初、ヤンさんの両親が慌てて他人の遺体を息子のものと錯覚したため。本物のヤンさんの遺体は「ムン・ミンギュ」という名で埋葬されていたが、ムンさんが生存していることが明らかになり、ヤンさんの遺体は「身元不明」墓域に埋葬された。2002年の国立5・18民主墓地の開設後は無名烈士墓域(墓地番号4-96)へ移された。
5・18調査委員会は2021年に無名烈士墓域を調査した際、4-96番墓地に眠っている人物をヤン・チャングンさんだとみて家族の遺伝子検査をおこなった結果、名前を特定した。
ただ、ヤン・チャングンさんは5・18有功者法にもとづく5・18関連者として認められたものの、有功者としては登録されなかった。同法の施行令は、有功者の登録申請ができるのは直系の尊属または卑属に限られると定めている。ヤン・チャングンさんの両親はすでに他界しており、生存しているのは実兄のみだという。
この日の光州民主抗争46年の5・18記念式で李在明(イ・ジェミョン)大統領は、ヤン・チャングンさんの例に言及しつつ「5・18民主有功者の職権登録制度」を整備すると表明した。
李大統領は「この場に来る前に立ち寄った国立5・18民主墓地には、戒厳軍の銃弾に倒れた故ヤン・チャングン烈士が眠っていらっしゃった。踏みにじられた祖国の正義に誰よりも苦められた5月の少年は、代わって登録申請する直系家族がいないとの理由で、まだ5・18民主有功者として完全には認められていない」と述べた。
続けて「不屈の闘志で民主主義と祖国を守り抜いた方々が誰ひとり取り残されることのないよう、国は最後まで責任を全うする」と語った。
5・18遺族会のチャ・ジョンス元理事は「5・18当時の死者の多くは若くして亡くなっているため、直系家族を残せていない」とし、「大統領の約束を機として、傍系に対する待遇が改善されればと思う」と述べた。
6年ぶりに5・18民主広場で開催された46年5・18記念式は、光州民主化運動の「最後の抗争地」である旧全羅南道庁の開館を祝う雰囲気の中で行われた。「5月、改めて広場を抱く」をテーマに開催された国家報勲部の主管する記念式には、李大統領とキム・ヘギョン女史、共に民主党のチョン・チョンレ代表、国民の力のチャン・ドンヒョク代表、祖国革新党のチョ・グク代表ら与野党の指導部、5・18有功者と遺族3000人あまりが出席した。
特別公演では、光州市立バレエ団の団員ら80人あまりの舞踊家とソリクン(歌い手)が、「民主主義の継承」をテーマに、旧全羅南道庁の開館記念パフォーマンスを繰り広げた。パフォーマンスの過程では大きな太極旗が道庁の壁に掲げられた。
5・18精神を憲法前文に記載する改憲案の採決を拒否した国民の力のチャン・ドンヒョク代表は、市民の抗議を浴びつつ記念式会場に入場した。チャン代表は記念式の最後を飾った「あなたのための行進曲」斉唱の際、他の参加者とは異なり、拳を振らずに歌う姿が捉えられた。