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「大阪のトクハルマン、やっと故郷済州に帰ってきました」

登録:2025-08-14 09:29 修正:2025-08-14 10:17
光復80年…在日同胞キム・ヤンヌン、死から52年経て移葬
ホン・ソンミンさんが先月27日午後、大阪のコリアタウンの岩村食品前で、祖母のキム・ヤンヌンさんの遺影を抱いている。同店はホンさんが祖母から製法を教わった伝統的な済州式のもちを売っている。祖母は2階で暮らし、1973年に亡くなった=大阪/キム・ヨンウォン記者//ハンギョレ新聞社

 「やっと故郷に帰ってきた、ようやく。そう言っていると思います」

 在日韓国人3世のホン・ソンミンさん(64)が、済州に新たに建てた祖父母の墓を見ながら言った。光復80年を半月後に控えた先月29日、キム・ヤンヌンさん、ホン・スンハさん夫婦が「ようやく」日本から帰郷。故郷に埋葬された。

日本で永眠し、大阪の寺にあったホン・スンハさん、キム・ヤンヌンさん夫妻の遺骨を納めた箱が先月29日午前、済州市朝天邑臥屹里の南陽洪氏の家族墓地に埋葬されている=済州/キム・ヨンウォン記者//ハンギョレ新聞社

 1898年に生まれたキム・ヤンヌンさんは、14歳年上の済州市朝天邑新村里(チョチョヌプ・シンチョンニ)出身のホン・スンハさんと結婚し、1920年代に大阪に近い和歌山県箕島へ移住した。仕事探しのために「君が代丸」(1923年就航の済州-大阪定期旅客船)に乗って行ったと孫のホン・ソンイクさん(69)は推定する。夫婦の物語の隙間を埋めてくれる人々はみな、すでに世を去た。日雇いの夫の収入だけで生計を立てるのが難しかったキム・ヤンヌンさんは、紡績工場で働いた。大阪に移り、1945年の大空襲で家が焼失。新潟県新井市に避難し、夫婦はそこで3人の息子とともに光復を迎えた。

 光復後、夫と離れてひとりで3人の息子を連れて済州に帰ってきたキム・ヤンヌンさんは、済州市健入洞(コニプトン)の浄光寺の信者だった義姉からもちの作り方を学んだ。故郷ではあるものの、定着は難しかった。1948年2月7日、南韓単独選挙に反対するデモが行われ、19歳だった長男のヨピョさんが軍警に捕まって拷問された。キム・ヤンヌンさんは義姉の助力で船便を確保し、釈放されて戻ってきたヨピョさんを再び日本に送った。

 故郷暮らしは短く、他郷暮らしは長かった。大阪の猪飼野(現生野区)に定着したヨピョさんは、母親と弟のウピョさんを大阪に呼んだ。日本に渡ったキム・ヤンヌンさんは、家でもちを作って手押し車に積んで街で売った。「建入洞の菩薩(女性信者)の下で学んだハルマン(おばあさん)が済州伝統のもちを作っている」という評判が立ち、商売はかなりうまくいった。子どもを育てて生計を立てることだけに専念していたキム・ヤンヌンさんは、自然と「トクハルマン(もちばあさん)」という愛称を得た。

先月27日午後、大阪のコリアタウンの岩村食品の看板に「イェンナルトクチプ」と記されている=大阪/キム・ヨンウォン記者//ハンギョレ新聞社
ホン・ソンミンさんが先月27日午後、大阪のコリアタウンの岩村食品で、弟とともに済州伝統のもち、キルムトク(油もち)を作っている=大阪/キム・ヨンウォン記者//ハンギョレ新聞社

 「岩村食品」となった「トクハルマンのもち屋」は、今も大阪生野区のコリアタウンに「イェンナルトクチプ(昔のもち屋)」というハングルの看板を掲げて営業している。2番目の息子のウピョさんが継ぎ、今はウピョさんの息子のソンミンさんが営んでいる。70年以上の伝統を有する祖母の製法を守り、シルトク(蒸しもち)、ソンピョン(松もち)、インジョルミ(きな粉もち)、キルムトク(油もち)、ポリチンパン(麦まんじゅう)などを作る。もち屋の2階で生活していたトクハルマンは、1973年2月12日にそこで亡くなった。人生のほとんどを借家で商売していたトクハルマンは、初めて「自分の店」を開いたばかりだった。

 大阪の石切にある大観音寺にあったトクハルマンの遺骨は、光復80年、亡くなって52年を経て、夫とともに済州市朝天邑臥屹里(ワフルリ)の家族墓地に埋葬された。午前方5時から始まった改葬作業は疲れそうなものだが、ソンミンさんは祖父母の墓が作られる過程から目を離さなかった。大阪から前日に運ばれてきた遺骨箱は地中に置かれ、孫たちによって土がかけられた。ソンミンさんは祖母を「優しくて情の深い人、怒鳴ったりしない人」だったと記憶している。彼は「店から家に『早く上がってきなさい』とおっしゃっていたことを思い出します」と語った。ソンミンさんはこれまでずっと大阪コリアタウンで生活してきたが、済州の方言が聞き取れる。

葬儀業者が先月29日午前、済州市朝天邑臥屹里の南陽洪氏の家族墓地でキム・ヤンヌンさん、ホン・スンハさん夫妻の遺骨箱を地中に下ろしている=済州/キム・ヨンウォン記者//ハンギョレ新聞社
ホン・ソンミンさんが先月29日午前、済州市朝天邑臥屹里の家族墓地に埋葬された祖父母の遺骨箱の上に土をかけている=済州/キム・ヨンウォン記者//ハンギョレ新聞社
ホン・ソンイクさん(中央で伏している人物)と家族が先月29日昼、済州道朝天邑臥屹里の家族墓地で改葬を終え、祭祀を執り行っている=済州/キム・ヨンウォン記者//ハンギョレ新聞社

 孫たちもいつの間にか60代半ばから後半。これまでは親が訪ねやすいように日本の寺に祖父母の墓があったが、親の世代もみな亡くなった。祖父は生前、上の息子に「(死んだら)必ず済州に連れて行ってほしい」と言っていた。ソンミンさんは「(祖父母は)済州で生まれたから、済州にお連れするのがいちばん良いと思って改葬することにした」と言いつつも、「50年以上あそこ(日本のお寺)にいらっしゃって、私は1、2カ月に1度お参りしていたが、もうそんなことはなくなるので少し寂しい」と話した。世代が変わって時間がたつほど先祖を訪ねなくなり、最後は墓の位置も分からなくなるだろうという心配もあった。「ハルモニとハラボジを家族墓地に埋葬すれば、ホン氏の子孫たちはいつでも行けるだろうから、寂しくないのではないかと思う」とソンミンさんは話した。

 「済州が故郷なので心に響くものがある」と話すソンイクさんは、「こうしてハルモニ、ハラボジをお連れしたのは血筋であり、故郷だから。子孫が来やすいようにお連れしたので、孫としての任務は果たしたという気がする」と話した。

ホン・ソンイクさん(左から3人目)とソンミンさん(4人目)の家族が先月29日昼、済州道朝天邑臥屹里の家族墓地への、大阪で亡くなった祖父母の改葬を終えた後、記念写真を撮っている=済州/キム・ヨンウォン記者//ハンギョレ新聞社
ホン・スンハさんとキム・ヤンヌンさん。撮影時期と場所は不明=ホン・ソンミンさん提供//ハンギョレ新聞社
大阪、済州/キム・ヨンウォン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/1213178.html韓国語原文入力:2025-08-14 06:00
訳D.K

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