「アリラン峠を越えていこう/行く道で疲れたら休みながら/手をつないで行こう、一緒に行こう」
日本軍「慰安婦」被害者であり女性人権活動家のキル・ウォノクさんを追悼する市民たちの歌声が、ソウルの真ん中に響き渡った。19日、「日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯(正義連)」は、ソウル鍾路区(チョンノグ)の駐韓日本大使館前で、キル・ウォノクさんの追悼祭および第1688回水曜デモを開いた。参加者たちは「日本政府は戦争犯罪を公式に謝罪し、法的に賠償せよ」「韓国政府は日本軍性奴隷制問題の正しい解決に積極的に取り組め」などのスローガンを叫び、キルさんが生前水曜デモで好んで歌った「岩のように」や「ホルロアリラン(独りアリラン)」などの歌を一緒に歌った。菊やバラ、フリージアなど色とりどりの花をキルさんの遺影の前に捧げて黙祷した。
参加者たちはそれぞれキルさんとの思い出を語った。「2005年の夏に初めてキルさんと出会ってから、20年間毎週水曜デモに参加した」という水曜デモボランティア活動家のイム・ゲジェさんは「どんどん平和運動家になっていくおばあさんたちの姿をそばで見つつ尊敬と大きな愛情を感じたおかげで、活動はつらくなかった。初めておばあさんたちの証言を聞いた時は、二次性徴も始まっていないような幼い子どもが慰安所で体験した恐ろしい出来事を観念でのみ感じていたが、私もだんだん年を取るにつれ、おばあさんたちの苦痛が骨身にしみてわかるようになった」と、涙声で話した。そして「キルさんは屈せずに全世界に平和を伝えようと努めた大人だった」とし「私たちに多くの愛と気づきを与えてくださった先生が(一人また一人と)旅立っていくが、ぶれずに共にがんばりましょう」と語った。
正義連の元活動家のホランさんは「活動を始めたばかりで、わからないことだらけで萎縮してつらかったある日、キルさんが『忙しくてもちゃんと食べなさい』と言って渡してくれた甘いアイスクリームのおかげで、泣かずに働くことができた」と振り返った。また「キルさんが日本軍『慰安婦』被害者の方々の憩いの場『平和の我が家』を2020年に退所して以降、5年間会えなかったが、亡くなるまでどんなふうに過ごされたのか、キルさんが分け与えてくださった勇気と愛の分のお返しは受け取られたのか、苦しい世の中で笑いのたねを見つけることはできたのか気がかりだ」と言い「あたたかいところで蝶のように安らかにお休みください」と祈った。
近くの事務所で働いていて昼休みの合間に来たというパク・ウンヒさん(54)は「1年ほど前に家族を通じて日本軍『慰安婦』問題に関心を持つようになってから、時間があれば水曜集会に参加した。生存されている『慰安婦』被害者の方々がますます減っていることに胸が痛む」と話した。韓国サイバー性暴力対応センターの旗を掲げて追悼祭を訪れた同センターの被害支援チーム活動家のイ・テヒさんは「大学生時代から水曜デモに参加してキルさんに会ってきたが、歌を歌うのが好きだった姿をありありと覚えている。女性暴力被害者という受動的な立場に留まらず、自らを人権活動家と考え、主体的に声を上げていたキルさんの姿を間近で見ていたおかげで、後輩活動家としてデジタル性犯罪被害者の回復を支援する過程でもっと勇気を出すことができた」と語った。
この日の追悼祭では、キルさんの生涯を歌劇で再構成した追悼公演「歌になったキル・ウォノクさん」も行われた。劇団「経験と想像」の俳優たちは「人を憎むのではなく罪を明らかにして二度と罪を犯さないようにするために、人権活動家であり平和活動家として生まれ変わったおばあさんたちは、暴力と差別で苦しむすべての女性と弱者のために世界中を飛び回った」と語り、キルさんを回想した。そして「最後まで戦うことが勝つことだ。私は希望を持って生きる。だから私の後についてきなさい」というキルさんの生前の叫びを伝えた。