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日本軍「慰安婦」被害者のキル・ウォノクさんが死去…生存者7人のみ

登録:2025-02-17 06:33 修正:2025-02-18 07:56
日本軍「慰安婦」被害者のキル・ウォノクさんの生前の姿=共同取材写真//ハンギョレ新聞社

 女性家族部は16日、「日本軍『慰安婦』の被害事実を国内外に知らせるため、積極的に活動してきたキル・ウォノクさんが亡くなられた」と発表した。

 1928年、平安北道煕川(ヒチョン)で生まれ平壌(ピョンヤン)で育ったキルさんは、(数え年で)13歳だった1940年、「工場に就職させてあげる」という言葉に騙され、中国満州の慰安所に連れて行かれ、苦難を強いられた。1年後、病気になって故郷に帰ってきたが、貧しい家計を助けるため、1942年に再び中国に行き、慰安所に連れて行かれた。

 光復(植民地解放)後に帰国したキルさんは、家族をはじめ誰にもこのむごい経験を打ち明けなかったが、1998年に日本軍「慰安婦」問題解決のための水曜デモをテレビで見て、政府に「慰安婦」被害者として申し出た。以後、日本軍「慰安婦」の真相を国内外に知らせ問題を解決するための活動の先頭に立ってきた。2004〜2020年、正義記憶連帯(正義連)の日本軍「慰安婦」被害者の憩いの場である「平和の我が家」で生活し、水曜デモや日本巡回証言集会などに参加した。

2019年8月14日、ソウル鍾路区の旧日本大使館前で開かれた第1400回「日本軍性奴隷制問題解決のための定期水曜デモ」に参加したキル・ウォノクさん(左)が他の参加者たちに挨拶をしている=共同取材写真//ハンギョレ新聞社

 2012年には「平和の我が家」で一緒に生活したキム・ボクドンさんらと共に「日本政府から賠償を受けるなら、そのお金を世界戦争被害女性を助けることに使う」として「ナビ(蝶)基金」を設立した。2014年にはスイスのジュネーブの国連人権理事会議長室を訪れ、「慰安婦」問題の解決を求める全世界150万人の署名を渡した。

 キルさんの声は音楽と本にもなった。キルさんは2017年に「キル・ウォノクの平和」というアルバムを発表し、幼い頃から夢見ていた歌手になる夢を叶えた。キルさんの証言は2018年、作家のキム・スムさんによって『軍人が天使になるのを願ったことがあるか(原題)』(現代文学)という題名の証言集小説として発表されたりもした。

 キルさんは2019年1月に先に亡くなった親友のキムさんの遺影を見て「こんなに早く逝ってしまうとは」と悲しんだが、二人は天国で再会することになった。キルさんの死亡で政府に登録された日本軍「慰安婦」被害者240人のうち生存者は7人に減った。90〜95歳が2人、96歳以上が5人で、平均年齢は95.7歳に達する。

 女性家族部のシン・ヨンスク長官職務代行は「また一人の日本軍『慰安婦』被害者とお別れすることになり、非常に胸が痛む」とし、「日本軍『慰安婦』被害者が残りの人生を安らかに送れるよう支援し、被害者の方々の名誉と尊厳回復に努める」と述べた。

 キルさんの葬儀は、仁川市延寿区(ヨンスグ)の仁川赤十字病院の葬儀場で行われる。出棺は18日午前9時30分。

チョン・インソン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/society/women/1182750.html韓国語原文入力:2025-02-16 23:17
訳H.J

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