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「朝鮮学校が怖いのか」…「反省しない日本」に鞭をとった市民たち(1)

登録:2024-02-26 07:15 修正:2024-02-26 08:28
「朝鮮学校差別反対」第555回集会現場 

「無償教育排除」に反発、2012年3月1日に創立した大阪の市民団体 
毎週「火曜行動」…「同じ税金納めるのになぜ差別するのか。歴史に恥じないようにしてほしい」
「朝鮮高級学校無償化を求める連絡会・大阪」の会員たちが6日、大阪府庁舎前で第555回「火曜日行動」を開いた。長崎由美子事務局長(右から2番目)は、同団体の集会を写真で報じたハンギョレ新聞(2012年10月15日付)を取り出した=イ・ジョンヨン先任記者//ハンギョレ新聞社

 今月6日午前11時30分、大阪市の大阪府庁舎前。ここは大阪の東側地域で、大阪城がすぐ隣にある。40代から80代に見える人々が三々五々集まってきた。約30人だった。

 ある人はスピーカーをつなぎ、ある人は太鼓とタンバリンを手に取った。「子どもたちの明るい未来のために」と書かれた横断幕が見えた。みんな決然とした顔だった。この日の気温は7度だったが、風が強かった。寒空の下、横断幕を持っている手が冷え切っているようで、気の毒だった。

 正午になると、日本の朝鮮学校を応援する集会が始まった。日本の市民団体「朝鮮高級学校無償化を求める連絡会・大阪」(以下、連絡会)が主催した555回目の「火曜日行動」集会だった。連絡会は2012年3月1日、創立大会を開いた。韓国の三一節に合わせた設立だった。同年4月17日から大阪府庁舎前で毎週火曜日に集会を開いている。

12年前の新聞に掲載された集会の写真

 朝鮮学校は1945年8月の解放後、日本に残っていた在日朝鮮人たちが子どもたちに朝鮮半島の言葉と歴史を教えるために建てた学校だ。1955年、在日本朝鮮人総連合会(総連)が結成された後、総連が学校運営を支援した。

 現在、日本の朝鮮学校は幼稚園をはじめ、小中高校、大学まである。日本で朝鮮高級学校(以下、朝鮮学校)の無償化をめぐる議論は、約10年前にさかのぼる。2010年、日本の与党民主党は、同年4月から「教育の機会均等」を掲げ、高校の授業料を国が負担する高校無償化政策を進めた。日本にある韓国学校や国際学校など外国人学校にもこの政策が適用された。しかし当時、北朝鮮による日本人拉致問題が騒がれたことによって朝鮮学校への適用は見送られた。保守的な安倍晋三内閣が発足した2013年には、朝鮮学校は無償化の対象から完全に除外された。時を合わせて大阪府もこれまで朝鮮小・中・高級学校に交付してきた補助金を絶った。現在、日本全域にある朝鮮学校の数は60校余りだ。

 赤い帽子をかぶって集会に参加した長崎由美子連絡会事務局長がマイクを握った。「寒い中、朝鮮学校への差別撤廃のために集まって下さり、ありがとうございます。今日皆さんが持っている横断幕は、(朝鮮学校で)生徒たちの美術の指導をしてくださる先生が火曜日行動をイメージして作ったものです。韓国から送られた横断幕もあります。希望が込められた横断幕のように、私たちもあきらめず前に進んでいかなければなりません」

2013年2月7日、朝鮮学校の生徒と学校関係者たちが東京の衆議院会議室で記者会見を開き、「自民党政権の高校無償化(対象からの)排除の撤回」を求めている/聯合ニュース

 藤永壯連絡会共同代表がバトンを受け継いだ。「2013年2月20日は(日本)政府が無償化政策から朝鮮学校への高校無償化の根拠となる法律の条項を廃止し、無償化からの除外を決めた日なのです。(大阪府の)吉村知事は『全ての子どもたちに平等な教育を』と訴えますが、そこから朝鮮学校の生徒たちは排除されています。国連社会権委員会や人種差別撤廃員会からも、朝鮮学校に対する高校無償化からの排除は差別であり、補助金を支給するようにとの勧告が何度も出されています。国際社会・歴史に恥じないようにしてほしいと思います」

 同日のデモに参加した大村和子さんは、古い新聞の1ページを広げ、差別の撤廃を求めた。2012年10月15日付のハンギョレ新聞の写真コラム「この瞬間」だった。当時10人余りが始めた「火曜日行動」を取り上げた写真と記事が載っていた。日本の市民団体「1%の底力で朝鮮学校の民族教育を支える会」所属の田村佳子さんは「朝鮮学校問題に関心を持つようになったきっかけは、朝鮮学校の保護者の方々が税金を払っているのに、朝鮮学校に補助金が支払われないのはおかしいと思ったため」だとし、「日本人同様税金を払っているのに教育を受ける権利を享受できなければ不平等だ」と強調した。

連絡会の藤永壯共同代表(左から)、長崎由美子事務局長、新井信芳さんが大阪の居酒屋前で朝鮮学校支援のために販売するTシャツを見せている=イ・ジョンヨン先任記者//ハンギョレ新聞社

 集会に参加した新井信芳さんは、居酒屋を運営しながら朝鮮学校を応援するTシャツを売っている。彼は先日にあった「特別な販売」について語った。「昨年11月、一人の韓国の方が私の居酒屋で販売しているTシャツを見て、『日本に来てTシャツを買う』と約束しました。当時は私の本気度を少し疑っていたようですが、その韓国の方は今年2月に来てTシャツを買いました。このように日本と韓国市民の間で小さな縁が続き広がれば、朝鮮学校の子どもたちにもっと希望と応援を送れると思います」

 在日コリアンの高己蓮(コ・ギリョン)さんは最近、日本の群馬県朝鮮人強制動員犠牲者追悼碑が撤去されたことを取り上げ、涙声で話した。「日本全国には160か所の朝鮮人慰霊碑があります。それらはみな行政が作ったのではなく、日本の良心が、長い時間をかけ、たくさんの労力と資金を集めて作ったものです。 一日二日で追悼碑を壊したからといって、100年の歴史が消えるわけではありません。朝鮮学校の差別問題も同じです」

 集会の合間に参加者たちはアコーディオンを演奏し「故郷の春」などの歌を歌ったりもした。在日コリアンのチン・スンウォンさんは「寒くても、胸は熱い」と話した。 集会を終え、参加者たちが韓国語の歌を歌った。タイトルは「勝利のその日まで」だった。 「顔を上げなさい。ため息を止めましょう。子どもたちの笑いを奪われるわけにはいかない。諦めず、くじけることなく、前進あるのみが私たちの道、勝利のその日まで」

(2へと続く)

大阪/チョン・ヒョクチュン(お問い合わせ japan@hani.co.kr)
https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/1129658.html韓国語原文入力:2024-02-2500:09
訳H.J

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