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[寄稿]来月100年を迎える関東大震災虐殺…韓国で「真相究明法」今回こそ制定を

登録:2023-08-01 06:42 修正:2023-08-01 07:49
パク・トクチン|「市民の会独立」代表 
「関東大震災朝鮮人・中国人虐殺100年犠牲者追悼大会」実行委員会が5月11日、東京衆議院第1議員会館で記者会見を開き、今年開催する予定の行事を紹介している=東京/聯合ニュース

 日帝強占期(日本による植民地時代)、在日朝鮮人に最も注目された民族運動がある。1923年の関東大震災朝鮮人虐殺事件に対する真相究明および糾弾運動だ。1924年3月、大阪中之島公会堂で朝鮮人虐殺糾弾大会が開かれた。30人の報告者が演壇に上がり、激怒した聴衆は7千人に達した。一体何があったのか。

 1923年9月1日、関東で大地震が発生した。大規模な火災と莫大な人命被害をもたらした。しかし、本当に残酷な災いは地震後に起きた。「朝鮮人が井戸に毒を入れた」、「朝鮮人が日本人を攻撃し、婦女を辱めている」というデマが組織的に流布された。これを口実に日本軍、警察、民間自警団は朝鮮人に対する虐殺を行った。日本社会における朝鮮人への嫌悪が克明にあらわれた事件だった。大韓民国臨時政府の機関紙「独立新聞」は朝鮮人犠牲者を6661人と推算した。前代未聞のジェノサイド(集団虐殺)犯罪だった。

 解放後も在日朝鮮人を中心に運動は続いた。真実に向けた歴史戦争だった。在日コリアンの歴史学者、姜徳相(カン・ドクサン)と琴秉洞(クム・ビョンドン)が1963年に編纂した『現代史資料6 関東大震災と朝鮮人』は、このような背景から生まれた力作だ。良心的な日本の市民社会が彼らと行動を共にした。日朝協会は1963年、「朝鮮人犠牲者調査慰霊特別委員会」を組織し、真相調査を展開した。1973年、東京の都立横網町公園に朝鮮人犠牲者追悼碑を建て、追悼式を始めた。今年9月1日にも開かれる予定の同追悼式は、50年間続いてきた行事だ。

 「一般社団法人ほうせんか」の西崎雅夫理事の努力は涙ぐましい。大学に在学していた1982年にこの事件を知り、朝鮮人虐殺の場所である荒川河川敷に住んで40年以上にわたり真相調査と追悼活動を行っている。2003年、日本弁護士連合会が関東大震災の朝鮮人・中国人虐殺は日本政府の責任だとして小泉首相に謝罪と真相究明を勧告したのは、このような努力の延長線上にある。彼らの努力に驚く一方、他方では恥ずかしい思いでいっぱいだ。このすべての活動が大韓民国の徹底した無関心の中で進められたからだ。2014年に第19代国会の与野党議員103人が関東大震災における朝鮮人虐殺事件の真相究明特別法案を発議したのは転換のきっかけになったが、それも会期満了で廃棄された。

 今年9月1日は関東朝鮮人虐殺から100年になる日だ。歴史はそれを経験した者の記憶として語り継がれる。そして記憶する者たちのために働く。2022年、ドラマ「パチンコ」がこのジェノサイド事件に光を当てた。韓国の市民社会が連帯した「関東虐殺100周忌追悼事業推進委員会」が発足したのに続き、在日コリアンと日本の市民団体も100年追悼事業を進めている。第21代国会のユ・ギホン議員(共に民主党)を含む100人の与野党議員が再び「関東大虐殺事件真相究明および被害者名誉回復に関する特別法案」を発議した。歴史戦争の新たな局面だ。

 東京の都立横網町公園で50年にわたり追悼式を続けてきた高齢の宮川泰彦・日朝協会東京都連合会長は、現場を訪れた「市民の会独立」訪問団にこう語った。「関東朝鮮人犠牲100年、戦いはこれからです」。市民の会独立は2021年と2022年に続き「記憶」のための活動を始める。日本政府の関東虐殺の真相公開と謝罪を求める1人デモを、在韓日本大使館前で8月の1カ月間展開する。第21代国会が第19代国会の二の舞を踏むことに反対する。今回は真相究明特別法を必ず制定しなければならない。100年前の朝鮮人虐殺事件の真相を究明し、二度とこのような野蛮な行為が起きないよう、日本と韓国が共に記憶しなければならない。我々が再び日本大使館の前に立つ理由だ。

//ハンギョレ新聞社
パク・トクチン|「市民の会独立」代表(お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/opinion/because/1102476.html韓国語原文入力:2023-08-01 02:38
訳H.J

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