『なぜ男たちは気負って不幸に生きるのか?』(バオ刊)。カトリックイエズス会のキム・ジョンデ神父が、やや刺激的なタイトルの本を出した。ただでさえ最近気がくじけて小さくなっている男性たちの感情を逆なでしようというのではない。「男性の位置を見直す」という副題が物語るように、男たちが幼い頃から強要されてきた「男らしい」生き方という虚勢から抜け出し、一人の人間として幸せになることを願う気持ちが込められている本だ。2016年にオーストラリアに留学し、「失業した男性の関係的霊性」をテーマに書いた著者の神学修士論文をもとに、今回「韓国男性報告書」を出したもの。26日、ソウル麻浦区大興洞(マポグ・テフンドン)のイエズス会センターでキム神父に会い、なぜ韓国男性が経済危機に対してよりいっそう脆弱なのかを聞いた。
「韓国の男性は、男性としての存在意義を生産力の有無で判断するように育てられました。だから失業した途端に男性性が去勢されたように感じるとともに、生きる意味を見失うこともあります」
キム神父は「IMF救済のときのような危機の際、失業した韓国男性たちが家にいられず出勤時間には皆が家を出る様子は、オーストラリアの指導教授も非常に独特な現象として覚えているほど、失業した韓国人たちが気力をなくすのは並外れている」と話した。数多くの失業者が、生きる重さに一人で耐えて自分を孤立させ、山の登山道をぐるぐる歩き回ったり、家出したり、さらには命まで絶つほど、韓国男性は経済力の喪失をあまりにも大きく考えているということだ。すなわち、労働は人生の一部であるにもかかわらず、全てを失ったと考えるということだ。経済的な浮き沈みを経験するのは韓国男性だけではないのに、なぜ経済的危機において韓国男性はよりいっそう苦しむのだろうか。
「韓国の男性たちがこのような危機状況で孤立する隠された真の理由は、家族との親密さが形成されていないため自分の弱さを家族に表せないからです。韓国の男性は、能力があってお金があれば万事順調のように思っていますが、それは間違った神話です。親密さは能力で形成されるものではありません。親密な関係は自分の能力を誇示する時ではなく、むしろ自分の弱さを分かち合う時に深く形成されます」
「韓国男性の不幸の原因」突きつめた本
「韓国男性、経済危機においてよりいっそう脆弱なのは
儒教・軍隊文化によって権威主義が深く根を張り
家族にも弱点をさらけ出せないせい
弱くても、弱さを告白しても大丈夫」
「救社隊」活動を拒否し、司祭の道へ
失業した男性たちが家族の輪に入れず徘徊し、しまいには自ら命を絶つ選択までするのは、自分の弱さを表に出せないからだということだ。キム神父は「弱さを表わせなかったのは、自分の中から湧き上がる感情を見つめることができず、敢えて無視してきたため」と分析した。では、なぜ特に韓国男性は感情に無頓着なのか。キム神父はその原因について、儒教文化と軍隊文化、反共主義教育によって権威主義に慣らされてきたためだと述べた。地位を分け、高い地位にいる人が低い地位の人に自分の権威を受け入れるよう強要する暴力的な文化が軍隊文化を通じて再生産され、家庭では家父長的な文化が定着し、企業にも固定化されてきた。それで自分より高い地位にある人には卑屈なほど屈従し、自分より低い地位にある人には卑劣なほど威勢を張って非人間的に接する。このため、人々を支配したり、自分が見下されないためにより高い地位につこうと邁進したりするばかりで、相手の言葉に耳を傾け共感することを体得できず、地位という紐が切れたら崖から墜落したように考えるということだ。
「なぜ韓国の男性は自分らしく生きることができず、職業や地位にこだわるのでしょうか。ペルソナというマスクを強調しすぎる文化のせいです。そのため、職業や地位といった社会的役割を実際の自分自身だと錯覚し、そのような外側ばかりに関心を示して高い地位につこうとする欲望を燃やし、その地位を失うとすべてを失ったとまた錯覚するのです」
キム神父は「『自分は何者か』、『自分自身とは何者なのか』を深く問うこと」を求めた。彼自身も社会的規範と自分との間での分裂を通じて、真の自分を探った時代があった。彼はイエズス会に入会する前は、半導体会社のエンジニアだった。1989年、労組がストライキに入ると会社は職場閉鎖を申告したうえ、彼にストライキをやめさせるよう指示した。会社は彼に救社隊(会社側が労働者の運動を破壊するために作った組織)の役割を強要したが、彼は激しい良心の呵責を感じてこれを拒否。結局、人事委員会から1カ月の出勤停止処分を受け、「強要されたペルソナ」を脱してイエズス会に入会した。彼は司祭になったが、司祭というペルソナだけに閉じ込められていたわけではない。2004年から2011年までの7年間、仁川で労働者の居酒屋「人生が見える窓」を運営し、自ら酒やつまみを運んだりもした。また最近は「男性料理教室」を運営し、受講生たちが料理をしながら共感力を育むよう導いている。
硬直した社会構造と文化によって、自分の感情を見つめることも表現することもできず、親密ささえ形成できない韓国男性のために、彼は知人たちの結婚式の席で話す「贈る言葉」を伝え、弱さを表せるよう励ます。「皆さんは愛されるくらい、あるいは愛するくらい、十分に弱いですか? もしそうならば、愛される資格があります。弱くてもいい、そして弱さを告白してもいいのです」