その日は朝から時間がなかなか進まなかった。朝早く目が覚めたが、「とてもじゃないが気持ちに余裕がなかった」。ベトナムのダナンに住むグエン・ティ・タンさん(63)は、菜園に水をやり、市場に立ち寄って食材を買い、家に帰って料理を準備した。午後12時(現地時間)からは何も手につかなかった。
2月7日のその時刻、韓国のソウル中央地裁では、韓国軍が犯したベトナム民間人虐殺事件の生存者のグエン・ティ・タンさんが韓国政府を相手取って起こした損害賠償請求訴訟に対する判決公判が進められていた。1968年2月12日、当時8歳だった彼女は、フォンニィ・フォンニャット村で起きた民間人虐殺によって家族5人を失い、自身も銃に撃たれて病院に運ばれた。
じりじりと携帯電話ばかりを眺めて1時間30分余り。静かだった携帯電話の着信音が鳴った。「タン・ライ!タン・ライ!( 勝った!勝った!)」 韓ベ平和財団のクォン・ヒョヌ事務処長が叫んだ。タンさんは思わず「タン・ライ!」と叫んだ。「言葉では言い表せない喜びが押し寄せてきた」からだ。あちこちからお祝いの電話が寄せられた。
この日、ソウル中央地裁民事68単独のパク・チンス部長判事は、大韓民国に対しタンさんへの3000万100ウォン(約310万円)の支払いを命じる判決を下した。韓国軍はベトナムの民間人を虐殺した責任を取らなければならないと認めた最初の判決だった。事件発生から55年たって返ってきた、韓国裁判所の回答だった。
「これまでの法廷闘争が真実と認められて嬉しい」。2月12日、ダナンの自宅で会ったタンさんは語った。裁判所の判決後、ベトナム現地で行われた韓国メディアとの最初のインタビューだった。この日ダナンを訪れた韓ベ平和財団平和紀行団所属の韓国の青年たちは、彼女にお祝いの花束を手渡した。
タンさんは2015年、ベトナム民間人虐殺被害者として初めて韓国の地を踏んだ。それに先立ち、「ハンギョレ21」のインタビューなどを通じてフォンニィ・フォンニャット村で起きた韓国軍による民間人虐殺被害を先頭に立って伝えてきた人だ。2015年以降、韓国との間を4回行き来して市民平和法廷や記者会見などに参加し、虐殺被害の事実を伝え続けた。
「最初は(韓国政府が)当然謝罪するものと期待していた。ところが参戦軍人たちが、(虐殺当時)8歳だった子どもに何がわかるのかといって、私の言うことを認めなかった。私が望むのは『申し訳なかった』という一言なのに、それを聞くことができず、暗たんとした思いだった」。韓国訪問のたびにタンさんの心の中には期待と失望が数え切れないほど交錯した。
2018年、韓国の市民社会団体が主催した民間模擬法廷である「市民平和法廷」では勝訴判決を受け、飛び跳ねるほど嬉しかった。しかし、実際に法廷で行われた裁判ではなかった。2020年4月に損害賠償訴訟を始めた後は、新型コロナ拡散のために韓国訪問の道が閉ざされ、やきもきした。韓国で続いた弁護士との面談、記者会見、法廷証言などに疲労を感じる時もあった。「法廷証言を終えると力が完全に抜けた。『もうここまでにしよう』とも思った」
そんな時、真実を明らかにしてくれた人たちを思い出した。2019年、ベトナム戦争参戦軍人のハン・ギジュンさんは、タンさんの前にひざまずいて謝罪した。フォンニィ・フォンニャット村作戦に参加した参戦軍人のリュ・ジンソンさんは、当時国道沿いに犠牲者の遺体が横たわっている様子を見たとし、2022年に「あなたの言葉は全て真実だ」と言ってくれた。タンさんにとっては、「2人の心からの謝罪は感動的で、言葉で表現できないくらい慰めになった」。そして2015年に韓国を訪れた時、日本軍「慰安婦」被害者であるキル・ウォノクさんとキム・ボクトンさんが、タンさんを抱きしめて「戦争の苦痛に共感する」と言ってくれた。この2人の抱擁を、タンさんは今でも忘れることができない。
このようにタンさんは自分を助けてくれた人たちの名前を次々とあげた。「私はこの事件が私一人だけの勝訴ではないことをよく知っています。私と同行してくれたすべての人たちと韓国の市民社会の力でここまで来ることができました」
韓国裁判所が大韓民国政府に賠償するよう言い渡した金額は3000万100ウォン。韓ベ平和財団のクォン・ヒョヌ事務処長は「国家賠償訴訟の最小申立て金額が3000万ウォンなので、そこに100ウォンだけ加えたもの」だとし「被害者が望むのは(お金ではなく)韓国政府が認めることだという意味」と説明した。タンさんも「私は(損害賠償で受け取ることになる)お金には関心がない」とし「韓国政府が認め、謝罪を受けたいだけ」だと話した。
これまでベトナム政府との会談の際、韓国大統領たちは民間人虐殺事件に対する負債の念を遠まわしに表現してきた。「韓国国民は(ベトナムに)心の借りがある」(2004年10月、盧武鉉元大統領)、「両国間の不幸な歴史について遺憾の意を表する」(2018年3月、文在寅前大統領)。「韓国大統領の謝罪を聞いた時は、『韓国軍が過ちを犯したことは知っても、個別の事件を詳しくは知らないのだな』と思いました。でも今回の判決を聞いて、『裁判官が被害者の声を聞いてくれたんだ』と思ったんです」
タンさんは一人だけの喜びで今回の判決が終わらないことを願っているという。韓ベ平和財団が推算する韓国軍民間人虐殺の被害者は1万人余り。「フォンニィ・フォンニャット村の他にも、ハミ、クアンガイ省なども(韓国軍による)民間人虐殺事件がたくさん起きたけれど、依然として真実究明がなされていません。韓国政府が一日も早くこれらの事件を調査し、被害者に謝罪することを望んでいます。それで犠牲者たちが慰められればと心から思います」