韓国軍によるベトナム戦争民間人虐殺事件は、1999年「ハンギョレ21」の報道で初めて知られた。報道の衝撃による反発は激しかった。2000年6月27日、枯葉剤後遺症戦友会のメンバー2000人余りがハンギョレ新聞社前の道路を占拠して放火を試みる一方、社屋に乱入して什器を壊し、社員たちを殴る事件が起きたのだ。
「ハンギョレ21」のコ・ギョンテ記者は翌年の2000年11月、30年ぶりに機密解除された米国国立文書保管所のベトナム戦争韓国軍虐殺関連文書と写真を入手し、世界で初めてフォン二ィ・フォンニャット村の惨劇を知らせた。コ記者はそれから10年あまりたった2013年1月と2014年2月にベトナムの村を再び取材し、翌年の2015年2月にその結果である著書『1968年2月12日』を出版した。
フォンニィ村に住んでいたグエン・ティ・タンさん(63)は、2015年に平和博物館の招待を受け、ベトナム戦争当時、韓国軍駐留地域の民間人虐殺生存者の中で初めて韓国を訪れた。2018年4月には民主社会のための弁護士会(民弁)と韓・ベトナム平和財団が開催した「ベトナム戦争民間人虐殺真相究明のための市民平和法廷」で、訴訟の原告として法廷にも立った。この法廷の裁判長を務めたキム・ヨンラン元最高裁判事は「大韓民国は賠償金を支払い、原告の尊厳と名誉が回復できるよう公式謝罪せよ」と判決を下した。
その後、民弁「ベトナム戦争民間人虐殺真相究明のためのタスクフォース(TF)」はグエン・ティ・タンさんを代理して2020年4月21日、ソウル中央地裁に大韓民国政府に対して3000万100ウォン(約310万円)の支払いを求める損害賠償請求訴訟を起こした。当時の記者会見で、グエン・ティ・タンさんはテレビ電話を通じて「韓国政府が民間人虐殺を認めない限り、被害者の苦痛を癒すことはできない。私をはじめとする多くの被害者の名誉が回復することを望んでいる」と語った。