本文に移動

日帝強占期に韓国の孤児を育てた日本人…尹鶴子生誕110周年

登録:2022-10-28 03:17 修正:2022-10-28 08:33
韓日から参加得て全羅南道木浦で記念式
1960年代、木浦の共生園の子どもたちと記念写真を撮っている尹鶴子女史=国連世界孤児の日制定推進委員会のウェブサイトより//ハンギョレ新聞社

 日帝強占期に韓国の孤児のために献身した尹鶴子(ユン・ハクチャ、日本名は田内千鶴子、1912~1968)女史の生誕110周年を迎え、韓国と日本からの参加を得て全羅南道木浦(モッポ)で記念式が行われる。

 全羅南道は「28日午後1時40分から1時間の予定で、木浦の共生園で尹鶴子女史生誕110周年記念式を行う」と27日に明らかにした。この行事にはキム・ヨンノク全羅南道知事、カン・スンギュ大統領室市民社会首席、キム・ウォニ、ユン・ジュギョン両議員らと共に、尹女史の故郷である日本の高知県から浜田省司知事、在韓日本大使館公報文化院の中條一夫院長ら100人あまりの日本側の関係者が参加する。尹女史の息子のユン・ギ共生福祉財団会長は同日、ウクライナ戦争の終息などを祈願する平和メッセージを発表する予定だ。国連世界孤児の日制定推進委員会のイ・スンジェ総裁と日本側推進委員会の阿部志郎総裁は「国連世界孤児の日制定建議文」を朗読する。

 日本の高知市で生まれた尹女史は、日帝強占期に朝鮮総督府の職員だった父親に連れられて韓国に渡って来た。木浦市の貞明女学校で音楽教師として働きながら尹致浩(ユン・チホ、1909~1951)伝道師が建てた共生園でボランティアとして活動した。1938年に尹伝道師と結婚し、夫の姓を名乗り韓国名を付けた。1950年の朝鮮戦争勃発後、尹伝道師は食糧を調達しに光州(クァンジュ)に行くと言って出掛け、行方不明になった。その後、尹女史は一人で共生園を運営し、400人を超える孤児を育てた。1963年には韓国政府から尹女史の本名である田内千鶴子名義で大韓民国文化勲章が授与された。独立後、日本人に初めて授与された政府勲章だった。尹女史は生涯共生園に献身し、1968年に持病のため亡くなった。韓日の団体は2012年の尹女史生誕100周年を機に記念事業会を発足させると共に、国連世界孤児の日制定を推進している。

 全羅南道と高知県は尹女史記念事業を機として2016年に姉妹提携し、交流協力事業を推進している。

キム・ヨンヒ記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/area/honam/1064543.html韓国語原文入力:2022-10-27 16:29
訳D.K

関連記事