「いったい誰が道民を殺せと言ったのか。異常な歳月だった。海の中から救い出したあなたたちの声が、74年の過ぎた今、空に響きわたっている。眠れぬ魂たちよ。さすらいの歳月よ。ついに命と引き換えにした高貴な心よ。漢拏の風の神よ、ここに現れたまえ」
20日午後6時、日本の東京都荒川区にあるアートホテル日暮里ラングウッドで開催された済州島4・3抗争74周年追悼「講演とコンサートの集い」で、在日コリアンの金順愛(キム・スネ)さんの追悼詩が日本語で会場に静かに響きわたった。新型コロナウイルス禍のため3年ぶりに「済州島四・三事件を考える会・東京」の主催で開催されたこの日の追悼式は、満員で3時間以上にわたり行われた。主催者側は、当初は250人ほどの参加を見込んでいたが、350人あまりが参加したと明らかにした。追悼式には済州4・3平和財団のコ・ヒボム理事長ら同財団の関係者をはじめ、4・3遺族会や済州道庁の関係者らも参加した。
毎年東京で開催される4・3追悼式は、日本社会に4・3を認知させる役割を果たしている。「済州島四・三事件を考える会」のチョ・ドンヒョン代表はあいさつに立ち、「過去20年あまりにわたって毎年開催してきた4・3行事が、コロナで3年ぶりに開催されることになった。解放空間の中で分断に反対し、祖国の統一を渇望して立ち上がった抗争の指導部は、依然として犠牲者から排除されている。米国の謝罪も受けられていないという課題もある」とし「犠牲者に対する補償や受刑者の名誉回復などがなされ、4・3が正しい問題解決の道に足を踏み入れたことをうれしく思う」と語った。
続いて東京外国語大学の中野敏男名誉教授が「済州4・3と日本の戦後史」をテーマに講演し、「日本の戦後史を看過しては、4・3は理解できない」と指摘した。同氏は「日本で済州4・3を考えることは、4・3の犠牲者を記憶するとともに正義を求めることであり、4・3に関係する在日朝鮮人の人生の尊厳を考え、保障することだ。また、日本の植民地主義の歴史の責任を問うものであり、アジアで継続している植民地主義の現在を問題化し、脱植民地主義の公正な世界を実現することだ」と述べた。
この日の行事には、カン・チャンイル駐日韓国大使が大使としては初めて、日本で開催された4・3行事に参加した。済州出身のカン大使は、日本で留学生活を送っていた時代に4・3行事に主導的に参加した経験談を披露した。カン大使は「当時も在日同胞の小説家の金石範(キム・ソクポム)先生と詩人の金時鐘(キム・シジョン)先生を通じて日本人は4・3を知っていた」とし、「留学生活をしていた1988年に40周年を迎え、東京で4・3行事を推進した。4・3の真相究明と名誉回復の運動は、事実上まず日本で始まったもの」と語った。
カン大使は「4・3の真相究明と名誉回復運動は世界的に最も模範的な歴史清算運動であり、平和と共生のための運動だ。誰もが共に生きる世を作るために努力しよう」と語った。
続く第2部は、在日コリアンの歌手、朴保(パク・ポー)さんの公演。朴さんはこの日、初めて作った4・3の歌を紹介した。むせび泣き、荒海からわき上がってくるような歌『カンタータ 済州4・3の叫び』を歌いはじめると、観客たちは沈黙の中で舞台を見つめた。
「骨が泥だらけになって静かに語りはじめる。深い悲しみは大地を吸い込むように湿った土の中でよみがえろうとしている。…共に助け合って生きてゆこう。そのうち親しくなったらあなたと一緒に暮らしたい。すべて理解するよ」
追悼式の参加者の大半は日本人だった。会場で取材に応じたコバヤシ・ユキエさん(65)は「2年前に大学で韓国語講座を受講し、4・3映画『チスル』で済州4・3事件を知った。真相究明と名誉回復の運動が多くの成果をあげたというが、在日済州人の被害実態についても調査する必要がある」とし、「在日朝鮮人問題に関して活動する日本人の友人から4・3追悼式があると聞き、初めて参加した」と語った。「平和憲法を守る荒川区研究会」で活動するオシオ・タケシさん(75)は「新幹社という出版社を営む高二三(コ・イサム)さんが主導する研究会に行って4・3を知り、追悼式に参加したが、コロナ禍の時期にもかかわらず多くの日本人が参加しているのを見て驚いた」と語った。ハトリ・マリさん(75)も「主催者の関係者を知っており、何度も4・3追悼式に参加した経験がある。真相究明と名誉回復が着実に進んでいるのが見られて嬉しい」と述べた。
追悼式後に行われた打ち上げには、小説『火山島』の著者の在日同胞作家の金石範さん(96)が訪れ、カン大使やコ理事長らと会ったほか、関係者たちを激励した。