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鉄原に日帝強占期の街?「子どもの頃に見た蛮行、はっきり覚えている」

登録:2022-03-12 04:04 修正:2022-03-12 11:07
労働党舎前に206億ウォンを投じて工事中 
鉄原の最盛期1930~40年代に注目 
鉄道駅や学校など再現し観光資源化 
 
日帝の収奪の歴史が美化されるとの懸念も 
独立運動団体「日本風の街の復元許さない」 
「江原道初の独立運動の現場だということに注目すべき」 
 
郡「抗日の歴史もあわせて造成する」
鉄原住民のイ・ギインさんが先月25日、江原道鉄原郡の労働党舎前に造成中の「近代文化の街テーマパーク」で、日本風の街の造成を中止するよう鉄原郡に訴えている//ハンギョレ新聞社

 「日帝強占期(日本による植民地時代)の収奪で栄え、戦争によって消えた日本人街を税金をかけて復元するですって? 日本が知ったら特ダネですよ」

 先月25日、江原道鉄原郡(チョルォングン)の労働党舎前で取材に応じた住民のイ・ギインさん(89)は怒りをあらわにした。おぼつかない足取りで移動し労働党舎に背を向けて立ったイさんは、工事真っ盛りの通りの方を指差した。

 道路の両側に建つ1階建ての10棟あまりの建物のガラス窓には「普通学校」、「衣装室・洋服店」などの文字が記されていた。路地の奥に入ると、日帝強占期に日本の建築専門学校出身の建築家が設計したという赤レンガの鉄原駅が、当時のままに再現されていた。

鉄原郡が復元した、1930~40年代に実在した鉄原駅の駅舎//ハンギョレ新聞社

 駅の右側には、日帝強占期に正午を知らせていた午砲が高々と備えられていた。普通学校、鉄原駅、午砲と向き合う街は、日帝強占期を再現した映画のセットのようだった。

 イ・ギインさんは「幼いころの日本人たちの蛮行ははっきりと覚えている。金属はもちろん、松脂や馬の飼料にする草、ワラで織ったかますまで、隈なくあさって収奪していった。日本風の街が作られるのを見て、日帝の悪夢がよみがえって眠れない」とため息をついた。

1930~40年代にこの一帯に実在した郵便局を鉄原郡が再現したもの。鉄原郡は「新しい文物が行き交った郵便局で、訪問客が自ら電報を作成して発送し、その後近くの展示館でそれを受け取るという体験をしてもらう計画」と明かしている//ハンギョレ新聞社

植民地時代の建物や市街地を再現

 鉄原郡は今年7月の竣工を目標に、2016年からおよそ7万平方メートルの敷地に国費76億ウォン(約7億1900万円)を含む206億ウォン(約19億5000万円)の事業費を投じて「鉄原近代文化の街テーマパーク」を建設している。地域を代表する観光資源である労働党舎の前に、鉄原駅を中心として、1930~40年代に最も栄えたかつての鉄原市街地を再現した街や鉄原歴史展示体験館などを建設するのが骨子だ。

 鉄原が日帝強占期の1930~40年代の鉄原市街地に注目したのは、この時代が歴史上、鉄原が最も栄えた時代だったからだ。今の鉄原は人口4万3000人あまりの38度線に隣接する小都市だが、当時は金剛山(クムガンサン)線と京元(キョンウォン)線が分岐する人口10万人を抱える中部圏の中心都市だった。日帝が敗れて去り、その後の朝鮮戦争の過程で、栄えていたこの一帯の街は爆破され、火災に見舞われ、跡形もなくなってしまった。

鉄原近代文化の街の鳥瞰図=鉄原郡提供//ハンギョレ新聞社

 しかし一部の人々は、旧鉄原市街地の造成は日帝強占期の美化へと歪曲される恐れがあると憂慮する。

 民族問題研究所のパン・ハクチン企画室長は「日帝強占期の痕跡が残っている群山(クンサン)や木浦(モッポ)などは観光地の役割も果たしているが、日帝による収奪を批判する独立運動歴史館などもよく整備されており、歴史教育の場として用いられている。一方、何も残っていない鉄原が日帝強占期当時の建物を再現して観光地化しようというのは、日帝の植民地の美化と解釈される恐れが高い。こうした点で時代錯誤」だと指摘した。

 鉄原独立運動記念事業会は事業初期の2018年、鉄原郡と郡議会に意見書を送り「鉄原が推進する事業は、日帝強占期の鉄原の行政と商圏の中心地に日帝が造成した日本風の文化を蘇らせる事業とならざるを得ない」と懸念を表明している。同事業会のイ・ウヒョン研究委員長は「労働党舎前に造成された日本人の街は、玄海灘を渡ってやって来た日本人と親日地主が住んでいた場所だ。鉄原近代文化の街は日帝強占期に華やかだった市街地の主な建物を再現し、見世物で一つ儲けようという賎民資本主義的な発想だ。日本風の街を復元すれば、ここを訪れる日本の観光客はどう思うか」と批判した。

鉄原郡が1930~40年代に実在した鉄原公立普通学校を再現したもの//ハンギョレ新聞社
鉄原独立運動記念事業会のキム・ヨンビン事務局長が、江原道鉄原郡の労働党舎前に造成中の「近代文化の街テーマパーク」で、事業の問題点について説明している//ハンギョレ新聞社

 鉄原近代文化の街の代わりに「独立運動の街」を造成しようという声もある。鉄原近代文化の街を造成中のこの一帯は、日帝が作った新都心でもあるが、1919年3月10日に江原道で初の抗日万歳運動が展開された歴史的な場所でもある。鉄原を発火点として、万歳運動はその後、春川(チュンチョン)、横城(フェンソン)、洪川(ホンチョン)など、江原道全域で起こった。今でも住民はここを「万歳通り」と呼ぶ。

 鉄原独立運動記念事業会のキム・ヨンビン事務局長は「鉄原地域の代表的な独立運動家であるパク・ヨンマン先生の生家跡、ワン・ジョンスン女史の生家跡、民族精神を教えた鳳鳴(ポンミョン)学校跡など、万歳通りにある数多くの歴史の現場は、無視され放置されてきた。今からでも事業を全面修正し、鉄原の歴史的誇りである独立運動の街として復元すべきだ」と述べた。

鉄原の労働党舎前に造成中の「近代文化の街テーマパーク」//ハンギョレ新聞社

鉄原郡「日帝強占期の街は一部にすぎない」

 鉄原郡は、旧市街地を再現した近代文化の街のほかに、中心となる建物である常設展示館において日帝強占期の独立運動、解放後の鉄原、平和の中心地として生まれ変わった鉄原の未来などを観覧できるように計画しているとし、「日帝美化の意図はない」と反論する。また、近代文化の街の隣に独立運動団体などの意見を集約した追悼公園も造成し、独立運動家だけでなく朝鮮戦争の犠牲者も追悼する空間として用いることにしている。

 鉄原郡のチョン・ジョンドク観光開発チーム長は「事業初期に日本風の街などが懸念されたことで、市民団体への報告会などの意見を聞く過程を経て多くの部分を修正しており、日帝強占期の鉄原の姿もあるものの、この時期だけに重点を置いているわけではない。鉄原の誇らしい独立運動の歴史をも含めた歴史公園として造成する計画だ。不十分な部分があれば、運営しながらさらなる措置を取る」と述べた。

文・写真/パク・スヒョク記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/area/area_general/1034439.html韓国語原文入力:2022-03-11 05:00
訳D.K

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