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在韓米軍基地内の日帝強占期の「造兵廠病院」、撤去の見込み

登録:2021-07-03 03:49 修正:2021-07-03 08:19
文化財庁が保存勧告も仁川市は撤去に同意
仁川市の富平米軍基地(キャンプマーケット)内にある日帝強占期の日本軍の兵器工場「造兵廠」/聯合ニュース

 日帝強占期(日本の植民地時代)の日本軍の武器工場「造兵廠」の病院として使用されていた建物が、撤去の危機にさらされている。この建物は文化財として価値が高く歴史的意味があるとして文化財庁が保存を勧告しているが、仁川市は一帯の汚染土壌の浄化作業のため、撤去に同意した。

 2日の仁川市などの説明によると、同市は先月30日、富平(プピョン)米軍基地(キャンプマーケット)南側のB区域にある造兵廠病院の建物などを撤去するとしても記録化してほしいという内容の公文書を国防部などに送った。

 仁川市の関係者は「撤去が避けられない場合は撤去するとしても、徹底的に記録化してほしいという趣旨の公文書を送った」とし「キャンプマーケット市民参加委員会でまとめられた意見を伝えた」と述べた。仁川市は、都市計画、環境、歴史、建築、文化の各分野の専門家などからなるキャンプマーケット市民参加委員会において、同建物を撤去する方向で委員たちの意見がまとまったと説明した。

 国防部の委託を受けた韓国環境公団は、仁川市立博物館の追加調査を経て、建物を撤去した後、下部と周辺の土壌を浄化する作業を進める計画だ。韓国環境公団などは、同建物を保存した状態では、油類などで汚染された土壌を浄化する作業は難しいとし、仁川市に撤去するかどうかについての意見を求めていた。

 この建物は、日帝強占期の国内強制動員の代表的な施設である造兵廠の病院として使用されていた。造兵廠に強制動員された労働者たちの証言によると、この病院には内科、外科、耳鼻咽喉科、皮膚科などがあった。建物の中央入口を入ると、廊下に沿って診療室と入院室が並ぶ大規模な病院だったという。日帝強占期には長い形をしていたこの建物は、現在2つに分かれており、真ん中は空いている。この部分は朝鮮戦争当時に砲撃を受けて破損したものと推定される。1945年の解放後、米軍と韓国軍はこの建物を病院として使用し、その後、在韓米軍の宿舎やクラブとして用いられてもいた。

 文化財庁は以前、キャンプマーケット内の面積約10万平方メートルのB区域を調査し、この建物について「必ず保存し、今後綿密な調査および研究を行う必要がある」とし、保存を勧告している。文化財庁は、この建物を撤去するというニュースに遺憾の意を表明し、見直しを要請した。文化財庁の関係者は「文化財庁が保存を勧告したのに、地方自治体が撤去を決めたのは珍しい例」とし「非指定文化財の保存を文化財庁が強制することはできない」と説明した。

パク・キョンマン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/area/capital/1001891.html韓国語原文入力:2021-07-02 10:32
訳D.K

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