あちこちに血痕が残っている階段、廊下に倒れた10代の少年…。
1980年5月27日、戒厳軍の鎮圧が行われた旧全羅南道道庁の生々しい内部の様子が、今月初めて公開される。5・18光州民主化運動団体と遺族らは今回の写真公開をきっかけに、まだ発掘されていない5・18の真相を盛り込んだ記録も早く探さなければならないと主張した。
文化体育観光部(文化部)の旧全羅南道庁復元推進団(復元団)は6日、「5・18民主化運動41周年を迎え、7日から7月31日まで旧全羅南道庁別館2階で元ウォールストリート・ジャーナル・アジア版記者のノーマン・ソープ(Norman Knute Thorpe)氏が寄贈した5・18関連資料特別展を開く」と発表した。
今回の展示では、ノーマン・ソープ氏が1980年5月21日から27日まで光州(クァンジュ)と全羅南道木浦(モッポ)などを撮影した写真など、約200点が国内で初めて公開される。
展示される写真の中には、1980年5月27日の戒厳軍による旧全羅南道庁鎮圧作戦終了直後、道庁内部で撮った約20点が含まれ、注目を集めている。
ノーマン・ソープ氏は同日朝7時30分、鎮圧作戦の完了直後、ジャーナリストとして初めて道庁に入り、戒厳軍が片付ける前に内部写真を撮った。市民軍のスポークスマンを務めたユン・サンウォン氏の火に焼けた遺体をはじめ、これまで知られていなかった、高校生5・18市民軍として小説『少年が来る』(ハン・ガン著、井手俊作訳)のモデルとなったムン・ジェハク君(16)や友人のアン・ジョンピル君(16)、最近市民団体が書体を開発しているパク・ヨンジュン氏(24)らの最後の姿がカメラに収められた。復元団は遺族の同意を得て特別映像室で犠牲者の発見位置や氏名、遺体の移動場面などを映像で公開する。
ムン君の母親、キム・キルジャ氏(81)は「最近、道庁復元団の職員たちが来て、息子ジェハクの写真を見せながら確認した。写真を見て胸が張り裂けそうだったが、道庁復元と5・18真相究明に役立てばと思い、展示を承諾した」と述べた。
また、1980年5月23日の旧全羅南道庁の内外部の様子や、24日に全羅南道木浦駅広場で行われたデモの様子、26日の民主守護汎市民決起大会後の市街行進の様子など、貴重な写真も公開される。5月26日未明、戒厳軍が戦車で光州市に進入するという知らせを聞き、「死の行進」を行った市民収束対策委員会の委員17人が、光州市農城洞(ノンソンドン)で鉄条網を挟んで戒厳軍と対峙している姿も見られる。
今回の特別展は、ノーマン・ソープ記者とイ・ジェウィ5・18記念財団非常任研究員の縁がきっかけで実現した。1977年から1982年まで韓国と日本の取材を担当したノーマン・ソープ氏は1980年5月21日に光州を訪れ、翌日全羅南道庁で当時大学生だったイ氏に会い、インタビューを行った。1997年に地元新聞の記者として勤務していたイ氏は、市民団体と共に『5・18特派員レポート』という本を執筆する際、米国にいたノーマン・ソープ氏と連絡を取り合った。2人の会話から全羅南道庁の鎮圧直後の写真の存在が明らかになり、結局寄贈に至った。
イ氏は「ノーマン・ソープ氏は海外メディアの記者だったため、保安隊要員らと道庁(鎮圧)直後に入ることができたとみられる。彼は、ユン・サンウォン烈士が燃えた原因を当時韓国ではあまり知られていなかった閃光弾と推定するなど、状況を緻密に分析する能力があった。今回の展示を機に旧保安司令部が撮った写真も早く発掘されなければならない」と述べた。
ノーマン・ソープ氏は「若い世代が今回の展示を通じて、民主主義の花を咲かせるためにどれほど多くの困難を経験したかを学んでほしい」と述べた。