大株主のいない新聞
「衆口塞ぎがたし」になるしかないが
「一糸乱れず」よりは良い
第1千号に書いた「公共財」の願い
ハンギョレの役員・社員も謙虚になるべき
この時代の価値を具現化すること
-当時、盧泰愚(ノ・テウ)政権の弾圧もひどかったでしょう。
「代表的なのが『リ・ヨンヒ先生訪朝取材計画』事件と『ソ・ギョンウォン議員訪朝取材手帳』事件です。リ・ヨンヒ先生が1989年1月、金日成(キム・イルソン)主席のインタビューをするために、日本の岩波書店を通じて北朝鮮に手紙を送ろうとしました。しかし同年3月、文益煥(ムン・イクファン)牧師の電撃的な平壌(ピョンヤン)訪問で公安政局が造成され、訪朝計画を断念しました。実際に手紙も渡すことはできませんでした。にもかかわらず、安企部(国家安全企画部。現在の国家情報院)が4月、国家保安法上の鼓舞称揚罪に問われたリ・ヨンヒ先生をまず連行し、次に私を連行しました。安企部で調査を受けている間を考えると、ハンギョレ新聞社の登録取り消しが彼らの目標だったのです。後で聞いた話ですが、当時、盧泰愚政権も南北基本合意書の締結のためにパク・チョルオンが密使として北朝鮮に出入りしていたんです。南北基本合意書を推進する側が、ハンギョレを叩くのもいいが、南北関係の助けにならないのでこの程度にしておこうと言ったそうです。それでリ・ヨンヒ先生を拘束し、私は立件状態で曖昧に縛っておいたんです」
-ソ・ギョンウォン議員事件の時は、安企部が強制捜索までしましたよね。
「ソ・ギョンウォン平和民主党議員が党指導部にも知らせず、1988年8月に平壌を訪問して金日成主席に会ったんですが、ユン・ジェゴル記者がこの事実を知って取材をしました。ただ、平和民主党がソ議員の訪朝の事実を公開するまでは報道を控えていました。しかしソ議員が1989年6月、当局に訪朝の事実を自ら知らせて拘束されました。すると安企部が、ソ議員の訪朝の事実を知っていながらなぜ申告しなかったのかと言って、国家保安法上の不告知罪を適用し、ユン記者の取材手帳を提出するよう要求しました。私たちが取材源保護の原則を守らなければならないと拒否すると、安企部が7月12日未明、警察1中隊を動員して編集局の強制捜索を強行したんです。ハンギョレの役員や社員たちが会社の入り口で体を張って防いだんですが、警察が鉄の扉を壊して入り込み、取材手帳を奪っていきました。盧泰愚政権がハンギョレをこれ以上放っておいてはだめだと考え、強硬手段に出たんだと思います」
-盧泰愚政権がどうにかして言いがかりをつけてハンギョレの発行を取り消そうと、虎視眈々と狙っていたんですね。国民株新聞は世界初の実験でしたが、新聞社の内部の状況はどうでしたか。
「自画自賛ばかりしてはいけないし、率直に話しましょう。ハンギョレには大株主がいないので、よく言われるのが『オーナーのいない新聞』です。『衆口塞ぎがたし』(衆口難防=大勢の人がやかましく騒ぎたてること)という言葉があります。あちこちで騒いだらどうにもできないんです。新聞作りというのは本当に複雑でしょう?毎日作らなければならないし、誤字一つ出ても問題になる。社員の給料も出さなきゃならない。こんなに複雑なうえに、衆口難防だったんです。3年に一度ずつ社長を選出して、編集局長を選出して。その度にわいわいがやがや。この人たちが新聞を作りに来たんだか、選挙のために来たんだか。今はどうでしょうね? ところで衆口難防の反対は何かわかりますか。『一糸乱れず』です。でも一糸乱れぬことははたして新聞が目指す価値でしょうか。衆口難防が大変なのは事実だが、それはハンギョレの持ち前の条件なんです。最初から衆口難防だったんですよ。それで私たちが一糸乱れぬ新聞を目指すのでないなら、衆口難防を甘んじて受け入れよう、そうしたのです」
-第1千号(1991年8月10日)発行のとき、1面に書かれた記念コラムで「ハンギョレがこの時代最高の公共財として残るように」と望んでいましたが、今ハンギョレがその役割をちゃんと果たしていると思いますか。
「公共財というのは、英語ではパブリックグッズ(Public Goods)ですが、商品ではない。新聞を1部当たり1千ウォン(約87円)、1カ月で1万8千ウォン(約1560円)する商品だと考えてはならないということです。そのため、通常の商品の持つ条件に縛られては困ります。『ハンギョレは“ブランドパワー”がある』という人もいますが、私はそれにも反対です。商品として持つ威力は拒否しなければならないと思います。では何なのか?この時代が持つ価値、新聞はその価値を具現化しなければなりません。ただ、公共財だとしても、飽きられたらは困るので、読者に親近感を与えなければなりません」
-最後に、後輩たちにお願いしたいことはありますか。
「私が冒頭で、解雇記者たちがもっと謙虚になるべきだ、ハンギョレを自分たちが作ったと自慢してはならないと言ったように、今のハンギョレの役員や社員たちも謙虚になるべきだと思います。言い換えれば、ハンギョレはこの社会の民主化を熱望した国民の真心と努力の結果だということを、一時も忘れないでほしい。この話を必ずしたいです」(了)