「5・18当時、保安司令部が主導した各種の“作戦”や“裏工作”など真相を明らかにしなければなりません」
1980年5月18日当時、市民学生闘争委員会委員長だったキム・ジョンベ元国会議員(64)は17日、「5月27日未明、全南道庁の地下室でパク・ナムソン状況室長と私が市民軍に銃を支給し、私も銃一丁を持って行ったが、撃針のないものだった」と語った。
彼は戒厳軍の鎮圧作戦が始まる前、市民軍側の小銃と爆薬類の雷管が取り除かれていた事実を軍尚武隊の営倉に連れて行かれて調査を受ける過程で知った。キム元議員は「すでに銃を持っていた市民軍を除き、一部は打てない銃を持っていたわけだ」と述べた。
17日にハンギョレが入手したキム・ギソク戦闘兵科教育司令部(戦教司)副司令官(少将)の5月23日のメモには、「道庁の武器類・爆薬集結監視、学生2人を抱き込む」と記されている。道庁にある武器の実態は「小銃1500~2000丁、手榴弾700発、爆発物TNT300C/B、雷管20000発余り」と記録されている。5月21~26日に戒厳司令部と学生収拾委員会との間で行われた「対話」や「報告内容」などである。
キム元議員は「当時、学生収拾委員会委員長だったKさんが意図的に工作のため道庁に送り込まれたとは思わない。しかし、彼は(収拾委員会の一員として)戒厳司令部と接触し、立場を聞く過程で恐れをなしたのだろう」とし、「穏健派は最初から武器を返そうと言っていた。それに反対した指導部が彼らを追い出した」と振り返った。
市民学生闘争委状況室長だったパク・ナムソンさん(66)も、軍が積極的に“裏工作”を行ったと見ている。彼は「五列(スパイ)が侵入し、私たちも知らないうちに(銃器の)雷管を除去した。軍出身者が市民軍の武器庫に入ったことから、保安司令部と協力して行われた作戦だと見ている」とし、「もし私たちも知らないうちに雷管が除去されるということがなかったなら、軍があんなにたやすく多くの市民を殺して鎮圧作戦を繰り広げることはできなかっただろう」と述べた。
パク元室長は「5月24日夜に(穏健派学生を追い出した後、市民学生闘争委を共に作った)ユン・サンウォン(市民学生闘争委報道官・1950~1980)に説得され、道庁の外にいた大学生らを中に入れた」とし、「ユン・サンウォンは声にとても力があり、論理的だった」と振り返った。キム元議員も「ユン・サンウォンと話し合った結果、戦いを続けるためには指導部を再び結成しなければならないと判断し、5月25日夕方、YWCAにいた大学生ら約100人を道庁に入れた」と述べた。