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[インタビュー]「DMZに入っても全く不安を感じません」

登録:2019-12-02 06:26 修正:2019-12-17 14:49
京畿道-ハンギョレ共同企画 
[DMZ現場報告書]南北の退役軍人に聞く
坡州DMZ平和解説士、ヨン・ソンジュンさん=パク・ギョンマン記者//ハンギョレ新聞社

DMZ平和解説士のヨン・ソンジュンさん 
「南北交流の糸口さえ見つかれば、急ピッチで進むだろう」

#1.30年経歴の退役軍人の「冷戦の思い出」

 「非武装地帯に入っても、ひょっとしたら撃たれるのでは、という不安は全くありません。南北関係が行き詰っているようですが、糸口さえ見つかれば、交流が急ピッチで進むと思います」

 先月25日、京畿道坡州市(パジュシ)臨津閣(イムジンガク)DMZツアーの案内事務所で会ったヨン・ソンジュンさん(54)は、今年7月に「DMZ平和解説士」になってからの自らの変化をこのように語った。

 二十歳の時の1985年、陸軍に入隊し、31年後の2016年に元士(曹長に当たる)で除隊したヨンさんは、平和解説士になる前は平和という言葉自体に抵抗を感じるほど、思考が凝り固まっていたという。1990年初め、大学生たちが臨津閣に集まって「行こう、北へ、来てくれ、南へ」というスローガンを叫ぶ時も、軍警合同状況室に派遣されたヨンさんは“アカ”を逮捕することで頭が一杯だった。

 「北朝鮮に対する敵対感が蔓延した軍事政権の時に入隊し、詰め込み式の洗脳教育を10年間受けていたため、政権が変わって、金大中(キム・デジュン)・盧武鉉(ノ・ムヒョン)政府がいくら和解と平和を掲げても、心に響きませんでした」

 吸収統一が唯一の道だと考えていたため、最初は平和解説がうまく行かず、辞めようかとも思ったが、勉強を重ねていくうちに、30年間堅く閉ざされた心が開かれ、思考が広がった。「以前とは比べものにならないほど、統一直前まで来たと思います。過去の極限の対立に戻ることなく、平和のムードを維持していけると思います」

臨津江芸術団のペク・ヨンスク代表=パク・ギョンマン記者//ハンギョレ新聞社

ペク・ヨンスク臨津江芸術団代表 
「平和への道、自由旅行に合意すればいい」

#2.「血が一滴も残らないまで戦う」

 「北朝鮮では男性であれ、女性であれ、軍隊に行けば朝鮮労働党にも入れますし、良い職業に就けるため、入隊を希望する人が多いです。身分が悪い人は頭が良くても軍隊に行けず、特に女性が入隊するのは大学入学より難しいです」

 17歳で北朝鮮軍に入隊し、黄海南道海州(ヘジュ)の4軍団で10年間勤務し、大尉で除隊した臨津江(イムジンガン)芸術団のペク・ヨンスク代表(55)は先月26日、北朝鮮離脱住民坡州市協会事務室で行なったハンギョレとのインタビューでこのように語った。

 坡州で活動する臨津江芸術団は、脱北女性20人で構成された公演団だ。ペクさんは高校卒業後、家計が苦しく、入隊を決心したという。「新兵訓練の時、シャベルとつるはしで厚い氷を割って塹壕を掘ることから始まり、真冬でも上着が汗で塩まみれになるまで厳しく訓練を受けました」

 「北朝鮮は貧しい国ですが、軍人が 『血が一滴も残らないまで、党と祖国と人民のために戦おう』という厳しい軍人精神で軍生活をしています。韓国の軍人とは雰囲気がかなり異なります」

 同じ部隊の軍人と結婚し、二人の息子をもうけたペクさんは、夫が病気で死亡した後、息子たちを連れ、中国を経て2009年に韓国で新しい人生を始めた。平日はパン工場で、また週末には食堂で、3年間1日も休まず懸命に働き、今は自分の食堂を開いて「南北の異質感を解消するため」芸術団を作って、定着に成功した。

 「北朝鮮は平和共存を語っても、常に戦闘態勢を整えているはずです。南北が本当に平和の道に進みたいなら、自由旅行に合意すればいいと思います」。

パク・ギョンマン記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr)
https://www.hani.co.kr/arti/area/capital/919080.html韓国語原文入力:2019-11-30 11:23
訳J.S

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