「無情なセウォル号よ、行くならば一人で行くがよい/愛しい人、愛しい子ども、なぜに連れていったのか/会いたい我が子はいない、会えない/空が泣き地が泣き胸深くしみる…」
セウォル号惨事4周年を迎えた16日、全羅南道珍島(チンド)では、犠牲者を慰める儀式が開かれた。巫女の祭りに参加した珍島の住民は、セウォル号も、犠牲者も今は去った体育館と彭木港(ペンモクハン)で空の星になった子どもたちを懐かしんだ。鎮魂のメロディと解冤の踊りに辛い悔恨があふれていた。
セウォル号惨事珍島郡汎郡民対策委員会はこの日午前、珍島邑(チンドウプ)の体育館で「再びやってきた4回目の春」を主題に追悼式を開いた。これに先立って珍島シッキムクッ(死者の慰霊儀式)保存会がセウォル号犠牲者304人の恨を解く舞台を準備した。珍島は惨事の現場であり収拾の拠点だったので、住民がボランティアに参加したり、漁場の被害を負うなど哀歓を共にした。毎年、彭木港で開かれてきた追悼式は港の整備工事で空間が狭くなり、今回は体育館で開かれた。
この日の追悼式には、イ・ジェヨン全羅南道知事権限代行とイ・ドンジン珍島郡守、住民と学生、ボランティアメンバー、宗教団体と市民団体の会員など1千人余りが参加した。未収拾者クォン・ジェグン、ヒョッキュさんの家族クォン・オボクさん(63)も参加して、隣人のようになった住民たちに感謝を表した。シッキムクッで始まった追悼式で、鳥島高校と珍島高校の生徒たちは犠牲者に捧げる手紙も読んだ。
パク・ジュヒさん(16・鳥島高)は「姉さん、兄さんがその日修学旅行に旅だった瞬間と、ご両親が黄色いリボンを付けて真実を知るためにもがいた場面を、鮮やかに記憶しています。記憶する多くの人と共に、二度とこうした惨事がない安全な国を作ります」と誓った。イ・ドンジン郡守は「未収拾者5人が、家族のもとに一日も早く帰ってくることを願う。セウォル号惨事の真相が、今年こそはきっと明らかになってほしい。船体を珍島に移すかは、公聴会と世論調査を通じて決める」と明らかにした。
参加者は「セウォル号は引き揚げられたが、真実は今も引き揚げられていない。事故原因の究明と未収拾者の収拾など、残った問題を早く解決して、セウォル号のような社会的惨事が再発しないようにしなければならない」と祈願した。
帰還を待つ港であった彭木港の防波堤ではこの日午後、円仏教法会など宗教団体と社会団体の記憶文化祭が相次いで開かれた。追悼客は防波堤でタイル4656枚で作った記憶の壁をはじめ、色あせた黄色いリボンと犠牲者の写真を見て涙ぐんだ。長さ170メートルに及ぶ防波堤の終端まで歩いて帰還を待った灯台、天国のポスト、4・16造形物などを見て犠牲者の安らかな眠りを祈った。
セウォル号の遺家族たちは、惨事の前日である15日夜遅く、彭木港焼香所で合同法事を行った。檀園高校の故クォン・スンボム、シン・ホソン、コ・ウジェ君の両親は祭壇に料理を供え、遺影に向かって「ごめん」を繰り返し涙を流した。