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済州「4・3遺跡地」が初めて登録文化財に

登録:2018-03-30 04:58 修正:2018-03-30 10:05
武装隊の討伐のため建てられた「水嶽駐屯所」 
文化財庁、文化財登録を予告
済州4・3水嶽駐屯所の外城の姿=済州島提供//ハンギョレ新聞社

 済州(チェジュ)4・3当時、武装隊を討伐するために建てられた、いわゆる「水嶽(スアク)駐屯所」が4・3遺跡としては初めて文化財に登録される。

 文化財庁は29日、政府樹立および朝鮮戦争当時、政治的、社会的混乱期の中で韓国現代史の主要な事件となった済州4・3事件の歴史性と地域性を表す代表的遺跡として、「済州4・3水嶽駐屯所」(西帰浦市南元邑新礼里サン5)を文化財に登録予告すると明らかにした。

済州4・3水嶽駐屯所の望楼=ホ・ホジュン記者//ハンギョレ新聞社

 済州4・3水嶽駐屯所は4・3当時、漢拏山(ハルラサン)を中心に楕円形で囲む形で作られた駐屯所の中でも規模が大きく、形式と構造が独特で、保存状態が比較的良好だ。また、済州4・3の痕跡がほとんど消えて現存の遺跡も非常に少ない状態で、済州4・3を再び光を当て、教訓を得るための歴史的現場の遺構として象徴的な意味があると評価されている。

済州4・3水嶽駐屯所の外城と内城の姿=済州島提供//ハンギョレ新聞社

 済州4・3当時、鎮圧に乗り出した軍警は武装隊の討伐のため、4・3の終盤の朝鮮戦争時期に地域住民を動員して駐屯所を建てており、民間人らは一定期間ずつここに常駐し、食料を調達したり警備に当たった。済州4・3水嶽駐屯所は1950年に建てられたものと推定され、城全体の長さは271メートル、全体面積は1920平方メートルほどだ。

 済州道は、4・3の遺物・遺跡の中で保存価値があるものを文化財に指定し、平和・人権の教育の場として活用するため、妥当性調査と学術調査などを依頼し、2016年5月に文化財庁に登録文化財指定を申請した。登録文化財とは、国宝・宝物のような国家指定文化財ではなく、文化財のうち建設・製作・形成された後50年以上経ったもので、文化財庁が保存と活用に向けた措置が特に必要があると判断した文化遺産を指す。

 イ・スンチャン済州道特別自治行政局長は「文化財庁に申請してから、ほぼ2年後に4・3遺跡地が文化財に登録予告された。4・3の70周年追悼式を控えた状況で、4・3遺跡が初めて国家登録文化財指定予告を受けたのは、大きな意味があると評価している。今後、道民の意見を集約し、平和人権教育の場として活性化していく」と話した。

 一方、文化財庁は同日、旧韓末の代表的な抗日義兵長の雲岡李康ニョン(イ・ガンニョン、1858~1908年)が西大門(ソデムン)刑務所で殉国した後、忠清北道提川(ジェチョン)地域の義兵たちに残した文章や活動内容を記録した「雲岡先生遺稿及び付録」も文化財に登録予告した。雲岡は明成皇后殺害事件が起きた翌年の1896年、慶尚北道聞慶(ムンギョン)で義兵を起こし、堤川などで活動した。

済州/ホ・ホジュン記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr)
https://www.hani.co.kr/arti/society/area/838298.html韓国語原文入力:2018-03-29 20:31
訳H.J

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