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59年ぶりにあらわれた‘あんず商人谷’蛮行

原文入力:2009-07-09午後04:35:21
過去史委, 忠南公州で民間人遺骸 235体 発掘
服役者・保導連盟員 ひざまずき手縛られたまま射殺さる

←真実・和解のための過去史整理委員会関係者たちが9日午前、忠南,公州市,上旺洞の山から発掘された228体以上の遺骸と薬莢,弾頭などを説明している。遺骸は大部分紐で縛られひざまずいた状態で発掘された。 (公州=聯合ニュース)

「犠牲者の名誉回復と遺族たちの痛みを抱いて6.25戦争前後のイデオロギーによる社会分裂を少しでも癒されることを願います」 9日真実・和解のための過去史整理委員会が開催した‘韓国戦争前後民間人集団犠牲遺体発掘’現場説明会場の忠南,公州市,上旺洞,俗称あんず商人谷は59年ぶりに韓国戦争の傷痕をそっくり現した。

この日豪雨が降りしきる中で進行された説明会場には真実和解委員会職員と公州遺族会員および市民社会団体など関係者30人余りが見守った。

遺骸は錦江に沿って公州から大田に向かう旧国道沿いで右側に100m離れた山(海抜80m) 3部稜線の長さ14-19m,幅2.5m,深さ55-120㎝規模の4ヶのくぼみから計235体が発見された。

出土した遺骸は背中を互いに向け合ったまま顔は両側壁面に向けられた状態で膝は折って手は後に縛られたり首の後で指を組んだ状態で射殺された姿だった。

これを証明するように遺骸埋葬地ではM1小銃による穴が遺骸の頭骨に観察され、弾頭がまさに頭骨下の首部位から発見されもした。

また遺骸とともにM1とカービン小銃薬莢や弾頭360点余りが出てきた点から推測し、被害者らは銃殺によって亡くなり、歯の状態から見て大部分が20代以上の男性だと遺体発掘調査団は推定した。

特に犠牲者の身元を明らかにすることができる遺品などは出土せず身元は分からないが、唯一の出土品である茶色と一部白色のボタンを通じて被害者らは当時公州刑務所服役者と刑務所に受け入れ中だった保導連盟員など身分が制限的な状態にあったことが分かった。

この間この地域では1950年6・25戦争が勃発以後の7月9日公州刑務所受け入れ中だった服役者と国民保導連盟員500-700人がトラックに乗せられてきて軍と警察により集団犠牲になったという証言と英国人が撮ったという写真が公開されたりしていた。

6・25時保導連盟に集まり逮捕されて、当時の清州刑務所を経て公州刑務所に移監され行方不明になった父親の便りを知りたくて来たというイ・ジェゴン(66.ソウル,永登浦区)氏は「そこに父が埋められたと思うと血が逆流する思い」として「今からでも父の遺骨を探し安らかに迎えたいし、無念の死に対して政府は名誉を回復させなければならない」と話した。

クァク・ジョングン(77)公州遺族会長は「ようやく犠牲者たちがどこに埋められ、どのように亡くなったのか少しは分かるようになった」として「無念の思いを抱いて亡くなった方たちの恨みをはらし、安らかな憩いの場を作ってくれるよう望む」と明らかにした。

パク・ソンジュ(62)調査団長は「この場所を国民の社会教育場として活用し、子供たちに国家のアイデンティティと人権伸張のための教育施設として活用されればうれしい」と話した。

(公州=聯合ニュース)

原文: https://www.hani.co.kr/arti/society/rights/364867.html 訳J.S