セウォル号遺族が1年近くテント座り込みを行っているソウル光化門(クァンファムン)広場には、9人の行方不明者を待っている大きな黄色いリボンの構造物がある。セウォル号惨事の犠牲者を追悼する象徴となった黄色いリボンは、沈没から4日目の昨年4月19日、大学生連合サークルのアルト(ALT)の提案で始まった。黄色いリボンキャンペーンは、フェイスブックなどを通じて国内外で広がり、惨事の痛みを共有する象徴となった。
21日、光化門広場でアルト代表ユン・サンム氏(21・中央大)に会った。ユン氏は「黄色いリボンに込められた追悼と希望のメッセージまで政治的なものにされているようで、胸が痛む。犠牲者と遺族の痛みに共感することが何より重要な時」だと話した。
この1年間、警察はセウォル号追悼集会が行われるたびに、黄色いリボンをつけている人たちに職務質問したり、通行を制限する行動を見せてきた。市民や政治家、スポーツ選手、訪韓したハリウッドスターまでが胸につけていた黄色いリボンが「不穏の兆候」になってしまった。
黄色いリボンキャンペーンは、「黄色いリボンには無事に帰ってくることを祈る意味が込められている」という、サークルメンバーの母親の一言で始まったそうだ。フェイスブックなどのSNSで活用するためのイメージを作るために知恵を出し合う過程で、「一つの小さな動きが大きい奇跡を」というフレーズも誕生した。
当時アルトメンバー7人は東大門(トンデムン)市場で購入した黄色い布でリボン500個を作り、ソウルの新村(シンチョン)で市民に配った。最初は500個で始めた黄色いリボンがSNSに乗って世界に広がっていくとは、夢にも思わなかったという。ユン氏は「単なる追悼ではなく希望と愛を語りたいと思った。今は黄色いリボンが、私たちが作ったとはいうよりは、みんなのものになったようだ」と話した。
事故から1年が過ぎた今、黄色いリボンは職務質問の対象とされている。ユン氏は「セウォル号に対する私たちの(韓国)社会の態度が反映されたもの」だと話した。セウォル号惨事1周年追悼集会は警察の過剰鎮圧で害されてしまった。彼は「セウォル号遺族を、その痛みに共感し、慰めるべき対象ではなく、反政府勢力であるかのように見ている」と悔しさを滲ませた。
ユン氏は、もう一度遺族の痛みに関心を持って共感してもらいたいと訴えた。 「『お金も受け取ったのに、なぜデモまでするのか』といった話を聞いてショックを受けた。295人が死亡し、9人が行方不明になった。この痛みはまだ癒されていない。相手を非難して罵倒するよりは、痛みに共感し、理解しようとする方がより重要な時だと思う。それが黄色いリボンの意味でもある」
韓国語原文入力: :2015-04-21 20:22