「黄色いレンギョウの中に私たちの息子がいる。アカシアの下にも私たちの息子がいる。 桜の花が嫌い。 木蓮も嫌い。 フリージアの黄色がヨンソクが好きな色だ。 ヨンソクはフリージアの香りがとても良いと言っていた」
会社員が出勤を急ぐ3日朝8時、光化門(クァンファムン)広場で檀園高2年7組オ・ヨンソク君の母クォン・ミファさんはしばし肩を震わせた。 「泣けば子供たちが嫌がるから」と言ったが涙は止まらなかった。 携帯電話を取り出して、息子の幼い頃の写真を見た。 携帯電話の上に涙が一粒落ちた。 携帯電話に落ちた涙を拭い再び息子の顔を見た。 写真をめくる母親の手には真っ黒に垢がついていたし、皮膚は荒れていた。
光化門見物に来た中国人観光客が泣いているヨンソクの母親を見つめていた。 ヨンソクの母親は息子の生徒証をかざして見せた。 「私の息子です。私たちの息子が昨年、修学旅行の時に死にました。 私は遺族です」。 韓国語を理解できない中国人観光客に説明した。母親は必死だった。 中国人は“遺族”という単語を理解して彼女を痛ましそうに眺めた。 ヨンソクの母親は話が通じない外国人にまでセウォル号について一つでも知って欲しかった。
光化門広場には3月30日以来、三つの孤立した島ができた。 昨年、光化門広場で46日間の断食座り込みをしたユミンの父親キム・ヨンホ氏が世宗大王と李舜臣将軍の銅像の間で座り込みを続けていて、世宗大王銅像から光化門側に200メートルほど離れたところではヨンソクの父親オ・ビョンファン氏と同じくラスのミンウ君の父親イ・ジョンチョル氏が座り込みをしている。 また、二人の父親の座り込み場所からさらに光化門方向へ100メートルほど離れたところでは別の遺族が座り込みをしている。 遺族たちは風雨をかろうじてしのげるビニールと薄い毛布に頼って野宿している。
セウォル号犠牲者家族たちは3日、「政府が一方的に立法予告したセウォル号特別法施行令案を廃棄しなさい」と要求し、光化門広場で記者会見を行い大統領府へ向かった。 警察は李舜臣将軍と世宗大王銅像の間に家族達を閉じ込め行進を阻止し、遺族たちはその日以来、警察ともみあった所で野宿座り込みを継続している。 遺族たちはセウォル号惨事1周年になる16日まで「416時間連続座り込み」を行う計画だ。
これに先立って2日には光化門広場で48人、ペンモク港で4人、計52人が「セウォル号特別法施行令案廃棄と船体引き揚げ、真相究明」を要求して剃髪した。 剃髪式を終える頃には雨が降り始めた。 雨を見ながら両親たちは「子供たちが剃髪する両親たちの姿を見て空から流す涙」と喉をつまらせた。 2年3組キム・シヨンさんの母親ユン・ギョンヒさんは「シヨンは私の長い髪が好きだった。 ある日、髪を短く切って家に替えると、シヨンが『なぜ髪を短くしちゃったの』と言っていた。 もうそんな話をしてあげる娘はいないのに、長い髪に何の意味があるの?」と心境を語った。
2日夜、風雨が激しくなった。 ビニール一枚でしのいでいるキム・ヨンホ氏は、風で激しく揺れるビニールを掴んで耐えていた。 傘と棒を柱にして端を持ってシートに水が沁みてこないようにした。 風雨の吹きつける日除けテントでは2年5組のジュニョン君の父親オ・ホンジン氏と母親イム・ヨンエさんが雨に打たれながら夕食を摂っていた。 自分たちはテントの中でご飯を食べるわけにはいかないと言った。 夫妻は懇談会に出席していて剃髪に参加できなかった。「剃髪した方々とテントの中で一緒に食べることは申し訳なくて」
3日未明、夜中に降った雨と強風のために普段より冷え込んでいた。夜が明け青く染まる空が一層寒さを感じさせる。 遺族たちが野宿しているビニールテントには体温により湿気がいっぱいに付いていた。 朝7時を少し過ぎて起きた遺族は、夜半に降った雨でしめったシートとビニールを乾かすために展げた。1時間も座っていると、春なのに体がすっかり冷えた。だが「真相究明を封じ込め、大統領府を保護しようとする政府施行令廃棄せよ」という字句が書かれたプラカードは、遺族の手から離れなかった。 出勤するひとりでも多くの人に見てもらいたいからだ。
座込み場で会った家族たちの思いは一途だった。「セウォル号特別法施行令案廃棄、完全な船体引き揚げ、真相究明」だけだった。 キム・ヨンオ氏は「セウォル号特別法施行令を受け入れることは、大韓民国でどんな事故が起きようが構わないということを意味します。 施行令が廃棄され、海上事故だけでなく他の部分についても徹底して調査して、少しでも安全な国を作らなければなりません。私達の子供たちに恥ずかしいことはできません」と話した。 彼は「国民に『もう、やめなさい』と言われる時が一番哀しいですね。最もむごい言葉です。ただ、『がんばってください』とだけ言ってください」と訴えた。
春が来て、花が野山に見事に咲いている。 だが、遺族の服装はまだ冬のままだ。服だけでなく心もまだ和らがずにいる。