「最後に(セウォル号から)脱出して、船内に友達がたくさんいると言ったのに(海洋警察は)何もしようとしませんでした。 手を伸ばせば届く距離なのに…。 船内案内放送は海洋警察とヘリコプターが来ているから‘どうか檀園高の生徒たちはじっとしていなさい’とばかり言っていました。 友達が‘じっとしているのに、どうして何度も同じ事ばかり言うのか’と泣いていました。」(檀園高2年Oさん)
「救助隊が来なくて一人ずつ海に飛び込んだけれど、私が飛び込んだ後に波が非常口を覆い尽くし、残りの10人余りの友達は脱出できませんでした。」(檀園高2年Kさん)
4月16日午前、セウォル号沈没事故当時に檀園高の生徒たちが船室から抜け出し非常口につながる廊下で救助を待っていたが、乗務員や海洋警察からは何の助けも受けられなかったという証言が出てきた。 生存生徒たちは「非常口を波が覆い尽くし残りの生徒たちが船の内側に押し戻されてしまったが、海洋警察は助けに来ず、乗務員らは先に脱出してしまった」として、彼等を厳罰に処してほしいと訴えた。
28日、水原地裁安山支所で光州(クァンジュ)地方裁判所刑事11部(裁判長イム・ジョンヨプ)審理で開かれたイ・ジュンソク船長らセウォル号乗務員15人に対する公判で檀園高生存生徒75人のうち6人が初めて証人として出廷し、事故当時の状況を詳細に述べた。
セウォル号4階船尾側左側の大部屋(SP1)船室にいた檀園高2年Bさんは「食堂で朝御飯を食べて船室で横になっていると、船が突然傾き始め、まもなく90度に傾いた。 近くにあった出入り口が上になり、ライフジャケットを着て水が満ちるのを待っていたが、友達が下から押し上げてくれ、上からは手を握って引き上げてくれたので船室から脱出できた」と述べた。Bさんは「船室から出ると非常口へ向かう廊下に友達数十人が列んで救助を待っていた」と話した。
また、同じ船室にいたKさんは「救助隊が来ないので一人ずつ海に飛び込んだが、私が飛び込んだ後に波が非常口を襲い尽くして残りの10人余りの友達は脱出できなかった。」と震える声で話した。
証人として出廷した生徒たちはセウォル号の船内では安全教育も全くなかったし、海水が上がって来たので、友達どうしで互いにライフジャケットを着せ合い、手を握り引き上げて、キャビネットを踏み台にするなどしてかろうじて脱出したと当時の地獄のような状況を伝えた。
特にOさんは「手を伸ばせば届く距離にいたゴムボートに乗った海洋警察は、非常口から海に落ちた人を救い上げるだけだった。 非常口の内側に友達がたくさん残っていると言ったのに、静かに眺めているだけだった」として批判した。
さらに、友達に会うために船体中央の左舷船室に行ったJさんは、船が傾いて上側になった右舷船室から誰かがカーテンで作ったロープを投げかけてくれ脱出できたが、助けてくれた人は乗務員でも海洋警察でもなかったと話した。
生徒たちはこの日、船が急激に傾いたのに、状況を知らせることも全くせず、船室から外に出て生徒どうしで押し上げたり引き上げたりしながら、かろうじて脱出したと話した。 「じっとしていなさい」という案内放送が繰り返された。 脱出しろという放送があったとすれば、キャビネットなどを踏み台にして多くの人が船から脱出できただろう」と口をそろえた。
一部の生徒は「今でも友達と先生を思い出して時々夢に見る。 処罰も重要だが、友達がなぜそうなったのか根本的な理由を明らかにしてほしい」と裁判所に訴えた。 100日を越えてなお精神的衝撃から抜け出せずにいるわけだ。 緊張した表情で証人席に座ったある女子生徒は、船が沈没した当時の状況を尋ねる質問に震える声で答え、ウサギの人形を胸に抱き友達の手を離さなかった。
裁判所は生徒たちが未成年者でほとんどが安山に住んでおり、事故の後遺症で長距離移動が困難な点を考慮して、この間裁判が開かれていた光州(クァンジュ)ではなく安山で裁判を開く事を去る24日に決めた。また、生徒たちの心理的安定のためにTV証言も検討したが、生徒の大部分が友人と一緒に証人席に座る条件で法廷証言を希望し、5人の生徒が直接法廷に出廷した。 しかし一人の生徒は心理的安定のために法廷そばに用意されたTV証言室で証言した。
イ・ジュンソク船長ら被告人は出廷せず、裁判所の非公開決定に則り生徒たちの家族と取材陣など10人余りだけが裁判を見守った。 29日にも生存生徒17人に対する証人尋問が同じ法廷で開かれる。
安山/キム・キソン記者 player009@hani.co.kr