半地下の小さな部屋から所帯道具が一つずつ出てきた。 米俵ほどの袋に入れられた服の山3ヶも出てきた。 主人を失った服たちだ。 最後に身を横たえた小さなベッドは、つぶされて外に運び出された。 人生の最期を暖かく包んだふとんの袋も家の外に片づけられた。 家賃と公共料金70万ウォンが入れられた封筒を残して、この世を去った3人の母娘がこの世に遺した人生の痕跡が消えつつあった。 パク・某(61)氏と長女キム・某(36)氏、下の娘(33)の痕跡はもう何も残っていなかった。
28日午前9時から3人の母娘が暮らしたソウル松坡区(ソンパグ)石村洞(ソクチョンドン)の半地下住宅を廃棄物業者の職員2人が片づけ始めた。 粗末な荷物の間から古ぼけたマンガ本がこぼれた。 マンガ本の間からスケッチブック大の画用紙数枚が目に映った。 マンガ本に出てくる絵が描かれていた。 パク氏の娘たちが描いたものだろう。 荷物の中には‘漫画の原稿用紙’一束が入っていたし、専門美術用品売場の割引クーポンも混じっていた。 漫画家を夢見たのだろうか。 TOEIC試験の参考書もトラックに載せられた。 2人の娘が病魔と絶望の中で失うまいとした夢の跡だ。
写真も暗い家から持ち出された。 2人の姉妹は写真の中では、小学校を卒業してお祝いをもらい、マイクを握って楽しそうに歌う女子中学生だった。 12年前に亡くなった父親とともに笑みを浮かべている写真が貼られたアルバムは、トラックの荷台の上に散らばりながら落ちた。 写真は彼女たちの幸せな昔を記録しているだけだった。 困窮の中で絶望した最期の瞬間を想像させる者は何もなかった。
"いい人たちだったのに…" 3人の生涯最後の家賃を受け取った家主イム・某(73)氏は悲し気に見えた。 「外との往来が殆どなかった人たちです。 私も、年に一度顔を合わせるかどうかくらいだったんですが…。 2人の娘は家にばかりいましたよ。 9年間で問題を起こしたことは一度も無い優しい人たちだったのに…」 同じ町内の住民3,4人がのぞき込むと、イム氏は「我が家に良くないことがあったわけじゃない」として静かに家に入ってしまった。
この日午後1時頃、半地下住宅の中には冷蔵庫と洗濯機、テレビだけが残った。古めかしい物だったが誰かが持って行くと言ったそうだ。 1tトラック一台に積み込まれた3人の母娘の遺品は、ソウル東大門区(トンデムング)回基洞(フェギドン)の廃棄物処理場に運ばれた。 リサイクルされる屑鉄を除いて、残りは全部積み込まれた。 パク氏の全財産である保証金500万ウォンは、住居整理費用などを抜いてパク氏の弟に手渡された。 弟は「生計がこんなに苦しいとは知らなかった。 毎度連絡するたびに、元気に暮らしているから心配しないでくれと言っていた」と伝えた。 警察による調査の結果、パク氏は食堂の仕事をして月に150万ウォン程を稼いでいたことが分かった。
3人の母娘の葬儀室は用意されなかった。 だが、3人を哀悼する気持ちは長い列をなした。 "死を選択するまでどれほど辛く孤独だっただろうか? どれほど長時間泣いただろうか?" "国家から保護されない国民の無念な死" 等の文を<インターネット ハンギョレ>等に書いたネチズンが多かった。 3人の母娘の死は "社会的他殺" (@na*****)とし、憤りの声をあげる人もいる。 あるネチズンは "時期が違うだけで、私たちの未来の姿" と嘆いた。 遺体が安置されたソウル松坡区(ソンパグ)の警察病院に弔問しに直接訪ねてくる市民の姿も目についた。
3人の母娘はこの日午後、ソウル瑞草区(ソチョグ)のソウル追慕公園で一つまみの灰になった。 もう彼女たちの痕跡は全て消えた。 哀悼の意を伝える市民の胸に痛みと祈りとして残っているだけだ。 "貧困と病気のない天国で幸せに過ごしてください" "良いところへ行ってゆっくり休んでください…" チョン・ファンボン パン・ジュノ記者 bonge@hani.co.kr