ウォン・セフン前国家情報院長が在職した4年間、国家情報院では "千年万年 院長を務める如く" という言葉が飛び交った。 絶対的な権力を振り回して君臨する様を皮肉る表現だった。 ある国家情報院職員は「ウォン前院長は誰も自身には指一本触れられないと考えたようだ」と話した。 それほど後のことを考えずに全権を振り回し国家情報院をもてあそんだという話だ。
ウォン前院長の権力の源泉は‘人事権’だった。 国会情報委員会のある関係者は「ウォン前院長就任初期、70人余に及ぶ‘殺生簿’(人の生死を決めるリスト)が作成されたといううわさがあった」と話した。 実際、ウォン前院長が2009年に就任した以後、一部の国家情報院高位幹部は自ら去った。 自身と関係がない不正疑惑を追及し閑職に発令するなどの措置に耐えられなかったという後聞だ。
ウォン前院長の広範囲な人事専横は国家情報院国外パートを瓦解させたという批判を受けている。 ウォン前院長時期、国家情報院の中堅幹部として過したK氏は「(ウォン前院長が)就任した直後の2009年4~5月には海外派遣職員50人余りを一気に帰国させもした。 相当数を無理に帰って来いと言った後、その席に自身の影響力下にある職員を送り込んだ」と打ち明けた。
大慨は李明博政府で勢力を伸ばしたいわゆる‘ヨンポライン’たちが選好度の高い国外パートを一人占めし、その過程で種々の問題が生じたという。 ある情報当局関係者は「ロシアの場合、情報局に関連ある人を通訳として使ったせいで、そちらに我が国家情報院の内部組織までみな把握される事態が発生した。 派遣要員が合意した数より多いことが露見し超過人員を追放させられたこともある」と伝えた。
ウォン前院長時期に国家情報院が金正日死亡、北核実験などの対北韓情報に‘真っ暗闇’になった理由も‘循環職務原則’が崩壊したためだ。 国家情報院は通常、国外勤務3年、国内勤務3年の循環職務を原則に据えてきた。K氏は「海外パートは北韓情報が入ってくる主要経路だ。 後任者に情報部員などを引継する時間もなしに人事を発令したためにヒューミット(人間情報)がまともに入るわけがなかった」と話した。
ウォン前院長による人事専横の核心は重懲戒であった。 法曹界などの話を総合すれば、2009年5月29日 国家情報院職員N氏は国家情報院懲戒委員会に呼ばれた。 ある女性がN氏に対して‘結婚詐欺姦淫’で国家情報院に嘆願を入れたためだ。 国家情報院はN氏がこの女性に日本東京の朝鮮総連事務室の位置などを話したという点を挙げて秘密漏洩罪まで問い、懲戒委で降格措置を下した。 該当情報はすでにインターネットなどに出ていることだった。 ウォン前院長は更に一歩進んで‘懲戒が軽すぎる’として懲戒委の再招集を要求し、結局N氏は10余日後の2次懲戒委で懲戒委員7人全員一致で‘解任’された。
ウォン前院長は就任4ヶ月目に職員1人を解任させたが、昨年4月13日最高裁はN氏の解任は不当と最終判決した。 国家情報院が1次懲戒委の懲戒が軽いとして2次懲戒委を開く法的根拠がなかったためだ。 すると国家情報院は昨年9月21日、国家情報院職員法施行令‘41条の2’を新設し、2次懲戒委を開ける法的根拠を用意しもした。 不法が通じないと見るや敢えて法まで作ったわけだ。
このような懲戒事実を書いて国家情報院内部に回覧する‘監察回報’は分期別に出されていたが、2009年からは毎月発刊され始めた。 ‘パフォーマンス効果’を狙ったものと国家情報院職員らは見ている。
人事専横は昨年の大統領選挙直前まで続いた。 さらに大統領選挙の前日である昨年12月18日、ウォン前院長の側近が昇進した。 ウォン前院長がソウル市副市長を務めていた時期にソウル市を担当した国家情報院職員イ・某氏が4級から3級に昇進し、側近として知られたカン・某氏も3級に昇進した。 2人は最近国家情報院長が変わった後に待機発令を受けたと言う。
李明博政府が退場しウォン前院長の時代もやはり急速に暮れた。 ウォン前院長は大統領選挙世論操作疑惑で検察の召還調査まで受けることになった。 国家情報院内外と政界では、今回の召還が最後ではなく開始だと見る観測が優勢だ。 今後ウォン前院長の政治介入疑惑だけでなく個人不正などの問題に火がつく可能性が高いということだ。
チョン・ファンボン記者 bonge@hani.co.kr