本文に移動

髪をつかまれた5歳のベトナム人少女、手を緩めた韓国軍兵士を探しています【寄稿】

イム・ジェソン|弁護士・社会学者
6月13日、「民主社会のための弁護士会」ベトナム戦争真相究明タスクフォース(TF)所属のファン・ホジュン弁護士がベトナム中部のハミ村で、虐殺の被害者との面談後に抱き合っている=筆者提供//ハンギョレ新聞社

<韓国軍の兵士が5歳の少女だった私のおさげ髪をつかみましたが、 
手を少し緩めた瞬間に私は逃げ、生き残れました。 

年を取ったいまでもときどき、その瞬間が脳裏に浮かびます。 
彼が意図的に助けたのではないかという気がします。>

 6月、ベトナムを訪問した。新たに発足した第3期「真実和解のための過去事整理委員会」にベトナム戦争中の民間人虐殺事件の真実糾明を求める申請を行うためだった。ハミ村とフォックビン村で起きた2つの虐殺事件の被害者に手続きを説明し、委任を受けた。ハミ虐殺の被害者であるチュン・ティ・トゥさんに「李在明(イ・ジェミョン)大統領に伝えたいこと」を尋ねた。彼女は「伝えない。直接話す」と言った。

 「代わりに伝えてもらうだけでは不十分です。大統領がこちらに来て、私に会わなければなりません。その人の良心と心臓に向かって、直接話します。なぜ、そのことを認めないのですか。60年間、私はこのような状態で生きてきました。私は100歳になっても、生きていれば話をしたいです。忘れることはできません。なぜ、罪のない子どもたちをそんなに殺したのですか」

 ベトナム戦争終結から50年あまり、1999年に韓国社会で公論化されてから20年あまりがあっという間に過ぎ去ったが、韓国政府による事実認定も謝罪もない。1938年生まれのチュン・ティ・トゥさんは死ぬまで訴え続けると語っているが、「ベトナムが謝罪を望まない」という嘘が依然として横行している。その訴えを聞いた韓国の弁護士たちは「私たちができることをしてみる。努力する」と約束した。この寄稿は、チュン・ティ・トゥさんの話を聞いた者として、その約束を果たす方法の一つだ。

 今回の訪問では、生存被害者たちは少し異なる要望を述べた。虐殺を生き延びた被害者たちだが、歳を重ね、かろうじて逃れた死が再び近づいてくるなかで、他に気になることが浮かんできたと言うのだ。「私はなぜ生き残ったのか」という疑問だ。青龍部隊第3大隊第10中隊は1966年11月9日午前、ベトナム中部のフォックビン村に侵入し、70人あまりの民間人を虐殺した。そのフォックビン虐殺の被害者であるボー・ティ・リエムさんからの要請だ。

 「なぜ私に、このような悲劇が起きなければならなかったのでしょうか。しかし、韓国を憎んではいません。ただ、時が経つにつれ、あの悲劇のなかで、私がどうやって生き残ることができたのか、もしかしたら、韓国の兵士が私を意図的に助けてくれたのではないかという気がします。韓国の兵士が5歳の少女だった私のおさげ髪をつかみましたが、手を少し緩めた瞬間に私は逃げ、生き残れました。年を取ったいまでもときどき、その瞬間が脳裏に浮かびます。彼が意図的に助けたのではないかという気がします。その兵士がまだ生きているのであれば、ぜひ会って聞いてみたいです」

 ハミ虐殺の被害者であるグエン・ティ・ホンさんは、感謝を伝えたいとも言った。「私の兄のところに来て、危険を知らせ、生き残れるよう助けた韓国の兵士がいる。ぜひ感謝しているという言葉を伝えたい。私の家は村で水牛を飼っていた唯一の家だった。その兵士が生きていれば、きっと覚えているはずだ」

 ベトナムを訪れた私を含む「民主社会のための弁護士会」の弁護士たちは今後、この要望を加害国である韓国の公的機関「真実和解のための過去事整理委員会」(真実和解委員会)に伝えることになるだろう。真実和解委員会にお願いしたい。委員長がチュン・ティ・トゥさんに直接会いに行き、彼女が心臓に向かって伝えると言った言葉を聞いてほしい。青龍部隊第3大隊第10中隊の隊員のうち、1966年11月9日午前に5歳の少女のおさげ髪をつかんだが、良心の呵責を感じ、その子どもが逃げられるようにした人がいるのか、探してほしい。見つかったら、あのときあなたが生かした少女がいま、あなたに聞きたいことがあると伝えてほしい。1968年2月24日に130人あまりの民間人が死んだ大規模なハミ虐殺を行った隊員たちに聞いてほしい。菓子や飴をあげて親しくしていたベトナム人少年に「俺たちがお前たちを殺すかもしれないから、早く逃げろ」と言った者がいるのか。見つかったら、その少年の妹がいまでも「兄を助けてくれてありがとう」と感謝していることを伝えてほしい。

 過去の虐殺と悲劇に対する追悼と反省すら十分に行われていないのに、現実は真逆にも嘲笑と歪曲が渦巻いている。だからこそ、過去に対する現在の責任が十分だったのか、省みなければならない。10年にわたりこの活動を続けているが、毎年突きつけられるのは、被害者の健康な人生が残り少ないということだ。責任を果たすにはすでに遅すぎるが、これ以上遅れてはならない。

 今回の寄稿で、2020年7月に始まった6年にわたるハンギョレでの連載を終える。77本の寄稿記事を書いたが、各記事のタイトルを見るだけでも、6年の歳月と、締め切り前の苦しみともがきがいまでも鮮明に思い浮かぶ。大学生のころから紙の新聞でハンギョレを読んでおり、いまでもそうだ。私の人生に深く刻み込まれたメディアに私の「紙面」があることは、光栄であり誇りだった。紙面を提供してくれたハンギョレと、未熟な文章を読んでくださった読者の皆様に感謝申し上げる。(了)

//ハンギョレ新聞社

イム・ジェソン|弁護士・社会学者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/1268680.html韓国語原文入力:2026-07-17 16:58
訳M.S

関連記事