最近、ニュース画面を頻繁に飾るのが人型(ヒューマノイド)ロボットだ。現代自動車グループが買収したボストン・ダイナミクスの「アトラス」やテスラの「オプティマス」のようなロボットは、無数の関節のモーターを制御し、驚異的な身体能力を披露する。テック企業らは数年以内に生産現場やサービス現場にロボットを大量投入する計画まで発表している。これを受けて最近、自動車労組が労使合意なしのロボット導入に反対する声明を出した。
人型ロボットは本当に人間の労働者に代わる存在になるだろうか。この論争は目新しいものではない。ロボット工学の権威であるロドニー・ブルックス氏は先月ニューヨーク・タイムズ紙でのインタビューで「現在、技術企業は人型ロボットが人間が行うすべての仕事をこなせるという暗黙の前提に陥っている」と述べ、期待に膨らんだ時期が過ぎれば失望の時期を迎えるだろうという懐疑的な見解を示した。
科学誌「ネイチャー」は先月16日付のニュース記事で、人型ロボット産業の拡散の流れを取り上げたうえで、専門家たちの分かれた見通しを報じた。まだ乗り越えるべき山は多いものとみられる。まず数時間ごとに充電が必要なバッテリーの問題がある。また、入力された命令を超えて生産現場を自ら感知し判断するには、依然として大きな限界がある。人間の気持ちを察して適切なケアやサービスを提供できるだろうか。重いロボットが倒れれば、かえって脅威となる可能性もある。一部の企業が推進するように人型ロボットが工場に配置されたとしても、当面は研究開発のための試験的活用である可能性が高い。
人型ロボットの産業的潜在力が過度に強調されるあまり、かえって人間の労働者の地位が萎縮する場面も見られる。人型ロボットの一方的な工場配置に反対する労働組合の姿勢を、一部では時代錯誤的な19世紀のラッダイト、すなわち機械破壊運動に似ていると非難している。ラッダイトという言葉は今なお「無知な機械破壊者」の代名詞として使われている。
しかし、ラッダイトに再び注目する最近の研究は、19世紀初頭の英国ラッダイト運動の労働者たちが無知蒙昧で手当たり次第に機械を破壊したわけではなく、目的と意図を持っていたことを明らかにしている。機械破壊は選択的であり、ラッダイトを主導した者の中には熟練機械工が多かった。彼らは低コストと生産性のみを追求し、工場を新型機械と低賃金非熟練工中心に一方的に代替しようとする動きに抵抗した。標的は主に悪徳工場の機械だった。当時は労働権益を保護する法と制度もなく、ラッダイトは最後の抵抗手段だった。
ラッダイト運動は21世紀に入り、一部で新ラッダイト運動へと受け継がれている。彼らは盲目的な反技術主義とは一線を画すものの、無分別な技術導入には反対する。ラッダイトの研究者ブライアン・マーチャント氏は、雇用を奪うのはロボットではなく、雇用主であるにもかかわらず、なぜ雇用不安を人間とロボットの問題として取り上げるだけで、労働者と雇用主間の問題として捉えないのかと反問する。
技術の流れを無条件に否定することはできない。問題は技術がどのような方法で、誰のために導入されるかである。人型ロボットをめぐる議論は、技術をめぐる楽観と恐怖の対決ではなく、社会的交渉の問題として解決していかなければならない。技術企業の論理が一方的にまかり通ってはならず、利害関係者である労働組合を盲目的なラッダイトとして非難してはならない。