仕上げの段階に向かっている韓国裁判所の内乱裁判を見守りながら、私たちは決定的な一つを十分にとらえられずにいる。一昨年12月3日の内乱の夜、国会と選挙管理委、報道機関に出動した首都防衛司令部・特殊戦司令部・防諜司令部・情報司令部の戒厳軍は、例外なく「匿名化」されていた。部隊のマークと個人の名札は除去され、顔面マスクと頭巾を着用していた。イ・ジヌ首都防衛司令官、クァク・チョングン特殊戦司令官、ヨ・インヒョン防諜司令官、ムン・サンホ情報司令官は、共に戒厳を事前に謀議する段階から服装を重要に考えており、実際に戒厳宣布直後の最初の指示は顔面マスクの着用と特殊任務遂行用の黒服の着用だった。
不思議なことだ。国家の正常な戒厳事務が秩序維持と公共安全のためならば、公権力は身分を明らかにしなければならない。民主主義国家で警察が名札とバッジをつけてボディーカメラを着用する理由はただ一つだ。市民が権力を識別し、事後に責任を問うことができるようにするためだ。ところが、あの日の夜、戒厳軍は警察とは正反対の選択をした。身分を隠し、顔を隠し、記録を消した。この選択は偶発的なものでも、即興的なものでもなかった。事前謀議の段階から一貫して準備された「匿名化戦略」だった。過去5・16(1961)、12・12(1979)、5・17(1980)のような戒厳事態でも見られなかった隠蔽戦略だ。
筆者はこの質問(なぜ彼らは自分の正体を隠したのか)に対する答えを、意外な場所で見つけた。現在、米国移民・税関執行局(ICE)と国境警備隊の姿からだ。社会学者と政治学者たちは、これらの組織を正当性の危機に陥った刑事・司法体系に軍事的暴力の論理が浸透した事例として分析する。その中核となるのは軍事化と匿名化の結合だ。最近、米国の内陸都市で行われている移民取り締まりの現場を見ると、隊員たちは覆面やマスクで顔を隠し、機関の識別が難しい戦術服や、普段着と防弾チョッキ姿で市民を検問し制圧する。この時、市民が感じる恐怖は単に武装のためではない。「あの人が誰なのか分からない」という不確実性、正体が分からない武装権力と向き合っているという感覚からくるものだ。
匿名化は単なる保護装置ではない。それは責任を消す技術だ。実際、ミネアポリスで市民に致命的な銃撃を加えた国境警備隊の隊員の身元はまだ特定されていない。覆面、名札なし、よく見えないパッチ。この組み合わせは事後の責任追及を構造的に不可能にする。これは偶発的な乱用ではなく、制度的に容認された無責任な構造だ。尹錫悦(ユン・ソクヨル)前大統領の戒厳軍とICE要員たちの間には、もう一つの決定的な共通点がある。足取りの徹底した秘密化、すなわち記録の不在だ。韓国の戒厳部隊は、戒厳の夜に作戦の基本と言える作戦日誌を残さなかった。携帯電話の通話記録も削除した。現場の指揮官のボディーカメラは「うっかり忘れた」という理由で作動せず、合同参謀本部の戦術指揮統制体系にも戒厳軍の移動は記録されなかった。国家権力が意図的に自分の足跡を消したのだ。消えた記録の中で韓国軍戒厳部隊は「幽霊軍団」だった。米国でも状況は似ている。移民取り締まりの過程で起きる暴力の場面が公開されたのは、ほとんど例外なく市民が携帯電話で撮影した映像のおかげだ。取締局の要員が着用したボディーカメラの映像は、異常なほど存在しない。取り締まり現場で衝突が発生した瞬間、一定のパターンが繰り返される。市民が撮影を試みると、要員たちは脅威を感じ、暴力的に反応する。記録を残そうとする市民と記録を恐れる国家権力の衝突だ。
この場面は確か見覚えのあるものだ。戒厳の夜、国会の前でも同じことが起きた。数的優位も圧倒的だったが、決定的だったのは市民と記者たちが持っていた数百台の携帯電話だった。記録は戒厳軍の暴力性を抑制し、匿名化された権力を再び現実の責任構造の中へと引っ張り出した。韓国で戒厳が挫折した理由は、軍が弱いからではなく、市民の記録能力がより強かったためだ。ここで韓国と米国の道は分かれる。韓国の民主主義は危険な瞬間に市民の力で回復した。一方、米国の民主主義はさらに絶望的な局面に入りつつある。米国では市民に対する準軍事的暴力がすでに構造化され、制度化され、予算と人材拡充を通じてさらに拡大している。戦場の論理が学校や駐車場やアパート団地に移ってきた米国の民主主義は、重病にかかり回復する見込みがない。