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チョ・グク事態と恥知らずな大人たち【コラム】

登録:2025-08-15 01:48 修正:2025-08-15 08:37
祖国革新党のチョ・グク前代表が昨年12月16日、京畿道義王のソウル拘置所に収監される直前に、支持者と手を取り合っている。光復節を控え、彼の赦免に関心が集まっている=チョン・ヨンイル先任記者//ハンギョレ新聞社

 「チョ・グク糾弾ろうそく集会を初めて実行したのは高麗大とソウル大だ。勉強ができる人同士が『公正じゃない』と言っているだけで、学歴が良くない人は剥奪感も抱かない」

 記者になって2年目の2019年末、「共に民主党」所属のある政治家が食事の席でそう言った。その日の話題は辞任したばかりのチョ・グク法務部長官についてだった。同席していた90年代生まれの記者たちが、彼に対する若者たちの怒りを語ると、政治家は私たちの出身大学を順に尋ねてから、そう言ったのだ。すぐには反論できなかった。私や友人たちの怒りが能力主義という狭い見方から発しているのではないかと思えたからだ。自らの怒りを検閲することにして、私はそれを心の片隅にしまった。

 私もチョ元長官の子と同様、外国語高校を卒業した。ただし、私が通っていたのは1年の授業料が66万ウォン(約7万円)の京畿道の公立の外国語高校だ。ソウルの私立の外国語高校に通いたかったものの、1年間の学費が700万ウォン(約74万5千円)だとは知らなかった。親には経済的な理由で新設の公立外国語高校を勧められた。通ってみたら、剥奪感を抱くことはほぼなかった。全校生徒が毎月6万7000ウォンの寮で過ごし、私教育(塾や習い事。公教育に対する概念)はインターネット講義だけだった。

 そこでは、修能(大学受験)は私の唯一の頼みの綱だった。部長教師は校内放送で「内申は1等に譲って、定期選考(一般入試)にすべてを賭けろ」と言った。それが生徒に言ってあげられる唯一のことだったはずだ。それでも勉強に集中できる環境に感謝し、自分の得た機会は他の誰かにとっては手の届かないものだったという自覚くらいはあった。

 2019年8月、私と同い年でソウルの私立の外国語高校出身のチョ・ミン(チョ・グク元法相の娘)の大学入試をめぐる報道を見て、私は初めて知った。事実上「外国語高校の優待選考」が存在することを。そして、高校生が著者として論文に名を載せるなどということがあることを。同月21日、民主党のキム・ジョンミン議員(当時)はこのことについて「普遍的機会」だと語り、同党のイ・チョルヒ議員は訂正するなどと言って「ある程度の地位を有する人々に開かれている機会」だと語った。

 それを聞いた時の心境を今、思い出してみる。「外国語高校生はみな同じ外国語高校生」だと思っていた純真さが恥ずかしく、自分の大したこともない機会に謙遜していたのが虚しく、門戸があることも知らなかったところで、ある人には門戸が開かれていたことに腹が立った。

 さらに、今度は怒ることにさえ罪悪感を抱かせる既成世代に、なおいっそう腹が立つ。怒りも勉強のできる子だけが抱けたって? 怒ることすらできず諦めた若者たちの味方のふりなどしてくれるな。たとえそうだとしても、望んでもいないのに、若者が「地位のある人々」の世界を見てしまったということは変わらない。

 加えて、チョ元長官のことを被害者だとして擁護する民主陣営のオピニオンリーダーたちの姿勢も、若者たちの目にはもう一つの既得権益と映るだろう。メディアと検察権力に劣らず、彼をかばう各界各層の人々に、社会資本の威力を見たのだ。悔しくても「コネ」があってはじめて救済される。

 赦免後、すべてが解決されたかのように振舞う彼らに言いたい。チョ元長官は検察改革の犠牲者だという主張は百回でもするがいい。ただし、「(祖国革新党に対する若者の拒否感は)大学入試に埋没してきた教育の歪んだ自画像」(ある教師のメディアへの寄稿)のように、若者たちの気持ちを勝手に裁断する発言は控えてほしい。「小川の龍(トンビが鷹を生む)神話」を批判する前に、自ら小川に降りてきて「ザリガニ」になる手本を見せてほしい。恥を知る大人が増えてようやく、若者たちは「チョ・グク事態」の残した傷について自ら語り、解釈できるようになるだろう。

//ハンギョレ新聞社

イ・ウヨン|社会政策チーム記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/1213310.html韓国語原文入力:2025-08-14 16:32
訳D.K

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