米国の歴代大統領45人のうち、ジョー・バイデン大統領など半数以上の27人が法曹界出身だ。米国の上院議員535人のうち175人も法曹人だ。1964年1月5日付のニューヨークタイムズ紙に掲載された「議会に法曹人が多すぎるのか」という見出しの記事によると、535人の上院議員のうち315人が法曹関係者だった。政治は利害関係を調整して政策を作り、法律を通じて具現される。法律を扱った経験は政治家になるのに良い条件だ。
韓国では判事や弁護士とともに法曹界の三本柱と呼ばれる検事出身の政治家が多いが、米国ではあまりいない。米国の法曹界出身の大統領は、大半が弁護士や判事として働いた経験がある。民主党の父と呼ばれる第7代大統領アンドリュー・ジャクソンは21歳で検事に任用されたことがあるが、彼を大統領の座に押し上げる政治的基盤になったのは独立戦争で将軍を務めた経歴だった。
検事の経歴を持つ議員も、州検察総長などの選出職、高位政務職の検事出身者か、ほかの活動が認められて政界に進出した人がほとんどだ。米国弁護士協会(ABA)が発行する法曹界出身の議員リストによると、大統領が任命する政務職である連邦検事出身も民主党のシェルドン・ホワイトハウス上院議員くらいだった。
検事の経歴だけで議員や大統領になった事例の数では、韓国が群を抜いている。韓国の検察が強力な権限を持つ定型化された職になったためだ。先進国で検事は韓国ほど権限が大きくないうえ、進出経路が多様であるため、一つ屋根の下の利権集団という意識がない。韓国の検事は権限と属性の面で、最高権力者にとって良い道具だった。検察と検事は「権力の走狗」と皮肉られたが、権力そのものではなかった。国民の顔色を伺ってはいた。体裁を整えるため、消極的な抵抗のしるしを残し、権力の末期になると権力に刃を向けることもあった。
しかし、検察と検事はいまや権力そのものになり、誰の顔色も伺わないばかりでなく、厚顔無恥になった。尹錫悦(ユン・ソクヨル)政権発足後、あらゆる権力の座を検事出身が掌握した事例を並べる必要はないだろう。政界に対する捜査は軍事政権時代にも見られなかった偏向性だ。
検事出身のチョン・スンシンは、息子の校内暴力が問題になって警察庁国家捜査本部長から退く際、「捜査の最終目標は有罪判決」という有名な言葉を残した。事件の真実を明らかにして無念を晴らすよう努めるという公理より、捜査と起訴対象を何が何でも刑務所にぶち込むという韓国の検事の「意識構造」だ。そのような意識構造だからこそ、自分の息子の校内暴力問題においてもあらゆる訴訟を動員して被害者を苦しめ、息子をかばい続ける振る舞いができたわけだ。
検察の人権監督官まで務めた人物が、法律のテクニックでそのような人権侵害を犯してメディアに報道された。当時上司だった尹大統領とハン・ドンフン法務部長官は、本当に知らなかったのか、知らないふりをしたのか、それとも問題にならないと思ったのか、世間の顔色も伺わずにチョン氏を抜擢した。チョン氏は検察で終盤に法務研修院分院長の辞令を受けた。法曹界では息子の校内暴力をめぐる訴訟が影響を及ぼした人事だと推測されている。法曹界のある関係者は、尹大統領など検察の権力者たちが、左遷されたチョン氏の無念さを考えて抜擢した情況があると指摘する。
ならば、尹大統領が新しく作り上げた「建暴(建設現場の暴力行為、あるいはその集団)」に倣って、「検暴」と言うべきかもしれない。韓国映画『悪いやつら』で、検事は「このやろう、お前が暴力団の構成員か否かなんて関係ない。お前は、俺がそうだと言ったら、何が何でもそうなんだ」と言いながら、主人公を殴る。 映画で暴力団の構成員たちは縄張り争いをする時も大義名分を立てる謀議をするのに、検事たちはそれもしない。暴力団よりもさらに暴力団らしい。このような映画のワンシーンを私たちはいま目撃している。
埃が出てくるまで叩きまくる家宅捜索、終わりなき出頭呼び出し、令状請求が乱発される。「お前は、俺が犯人だと言ったら、何が何でも犯人なんだ」と言わんばかりだ。「警察は殴っていたぶり、検察は呼びつけていたぶり、裁判所は先延ばしにしていたぶる」という。今、検事がその役割を最も忠実に果たしている。「突っついても捻るな」、「速やかに患部だけをえぐり出せ」というのは、シム・ジェリュン元検事の有名な捜査原則だ。 検察政権はいま「突っついて捻り、かき乱して内臓まで取り出して」、「重病だ」と騒ぎ立てている。この検暴政権の終わりはどうなるだろうか。
検事出身で有名な米国の政治家、エリオット・スピッツァー元ニューヨーク州知事のことが思い出される。金融街の捜査でウォール街の保安官と呼ばれた彼は2008年、就任2年足らずで高額売春サービスを受けていたことが明らかになり辞任した。おとり捜査で関係を結んだ売春組織のサービスを利用したのが命取りになった。不正が明るみになった背景は、検事時代の習性を捨て切れなかったためだ。政敵を監視するために州警察を動員し、法廷闘争ではなくメディアを利用した世論戦で裁判を有利に進める検事時代の戦略を貫き、まわりの怒りを買った。
どこかで見たことのある場面だ。いま、韓国の検察権力が披露しているものだ。