本文に移動

[特派員コラム]記者が目撃したウクライナ戦争1年

登録:2023-02-24 03:06 修正:2023-02-24 08:06
ノ・ジウォン|ベルリン特派員
昨年3月6日(現地時間)、ポーランドのメディカ国境検問所近くの休憩所で、ウクライナ難民が寒さをしのいでいる=メディカ/キム・ヘユン記者//ハンギョレ新聞社

 2022年2月24日のロシアによるウクライナ侵攻直後の3月初め、国境を越える避難民たちに会いに、私はポーランドへと向かった。当時、避難民はすでに130万人を超えていた。あれから1年、避難民は開戦当初の10倍以上の1400万人にのぼる。

 ポーランドで出会った2人の娘の母親であるアンナは、3月末にウクライナ軍がキーウを奪還した後に自宅に戻った。北東部のハルキウからやって来たユリヤは、まだ娘とドイツに残っている。ウクライナ軍が昨年9月にハルキウを奪還してからも、ロシア軍が激しい砲撃を浴びせ、死傷者を出しているからだ。政府は崩壊した町を復旧中だが、今日もハルキウだけでも3万5千人にのぼる市民が電気なしで暮らしている。

 ウクライナ国境を取材して1カ月ほど経った昨年4月、世界はロシアがキーウ郊外のブチャで犯した大虐殺を目撃した。誰もが言葉を失った。

 6月になってようやく、私はブチャ、イルピン、 ボロディアンカなどのロシア軍が踏みにじった町を訪ねた。ロシア軍に拉致され、何とか解放されたドミトロ、ミサイル攻撃で倒壊したアパートで2人の娘とともに命拾いしたオクサナ、敵軍の銃弾に太ももを貫かれたバレリ。市民から聞いた恐ろしい記憶は、明日また起きてもおかしくない現在進行形の戦争だった。

 携帯電話にはまだ、昨年3月のブチャ虐殺の際に車の中で死んだ母子の写真が残っている。母親は倒れかかっており、息子は助手席に座って頭を下げたまま冷たくなっている。テレグラムのメッセンジャーには、今日も残忍に殺された人々の写真が上がってくる。国連人権高等弁務官事務所は21日、ウクライナの民間人死傷者は少なくとも2万1293人にのぼると発表した。このうち子どもは1441人。

 昨年10月、ロシア軍は寒い冬を前に、ウクライナ全域のエネルギーインフラを狙った攻撃を開始した。キーウに住む友人たちは「3月には恐怖に震えたが、今は寒さに震えそうだ」と言った。3、4日は基本で、ひどい時には1週間も水・電気・暖房なしで過ごさなければならないケースもあった。2月現在、1800万人が人道支援を切実に必要としている。

 年末年始、私はキーウを再び訪ねた。大みそかも元日も、ひっきりなしに空襲警報が鳴っていた。昼間はミサイルが落ちるごう音、夜はウクライナ軍がミサイルを迎撃する爆音が聞こえた。つい今しがた空爆で倒壊した建物が見えた。私にとっては1週間の「悪夢」だったが、ウクライナ市民にとっては1年中続く「日常」だった。

 1年間記者として目撃してきた戦争は、映画や小説よりも残酷な現実だった。数千、数万人の命を奪う恐ろしい戦争。アンナやユリヤ、ドミトロ、オクサナ、バレリ…。ウクライナ市民はそれぞれのやり方で今日を凌いでいる。

 しかし、一部の人々は「平和」のために今や妥協すべき時に来ていると主張する。どうせロシアには勝てないのだから、一部の土地を譲って終わらせようというのだ。12月31日にキーウの都心で会ったウクライナの元高官が「クリミア半島をそのままにしておけば、2年後にはロシアが再び侵攻してくるだろう。クリミアを取り戻せば20~30年は平和を保てるだろう」と言っていたことが思い出される。妥協では平和は得られないという、経験から出た言葉だった。

 ウクライナの非政府系研究機関「レーティング」は21日、ウクライナ市民の95%が勝利を確信しているとする調査結果を発表した。今年のミュンヘン安全保障会議の報告書は「ウクライナ人の89%は、ロシアが核兵器を使ったとしても戦う準備ができている」と記している。ウクライナの抵抗の意志が今年、「冷厳な国際政治の現実」を変えることを願う。

//ハンギョレ新聞社

ノ・ジウォン|ベルリン特派員 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/1080996.html韓国語原文入力:2023-02-23 18:36
訳D.K

関連記事