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[コラム]「昔の母さんは忘れて」…闘士となった梨泰院犠牲者の親たち

登録:2023-01-03 03:21 修正:2023-01-03 09:34
ジハンさんの母親のチョ・ミウンさんは、惨事から2週間つらくて恐ろしくて見ることのできなかったニュースをようやく見るようになって、疑問が膨らんだ。孫の死を知らないジハンさんの祖父と、息子についてあふれるフェイクニュースを気にして、最初は顔を隠したままインタビューに応じた。平凡な人生を送っていた彼らにとって、悪意あるコメントは文字通り「刀で突き刺される」感じがした。やがて「私たちは恥じることもないし過ちを犯してもいないのに、なぜ隠れていなければならないのか」と思うようになった。
1日、ソウル龍山区の梨泰院広場に設けられた市民焼香所に集まった50人あまりの梨泰院惨事の遺族が、午前0時に合わせて犠牲者の名が表示された携帯電話を空に向け、犠牲者の名を呼んでいる=10・29梨泰院惨事市民対策会議提供//ハンギョレ新聞社

 新型コロナウイルスのまん延で病院の救急室が不足していた2021年冬、母が世を去った。昨年1月1日、独りになった父親の自宅の窓から新年の日の出を眺めていたら、改めてしみじみと「もう母はあの太陽が見られないんだな」と思った。毎年元日を共に過ごしてきたわけではないが、愛する人が永遠にこの朝を迎えることはないという感覚ほど、生々しくて痛みの伴う現実はないだろう。梨泰院(イテウォン)惨事の50人あまりの遺族が12月31日午後11時30分、緑莎坪(ノクサピョン)駅の市民焼香所で共に新年を迎えるという話を聞いた時、おぼろげながらその気持ちが分かるような気がした。

 俳優の故イ・ジハンさんの父親のイ・ジョンチョルさんと母親のチョ・ミウンさんは、昨年11月22日の遺族による初の記者会見後、最も顔の知られた人となった。「家族のために前だけを見て駆け抜けてきた」イ・ジョンチョルさんは、25年以上営んできた輸入事業を中断し、梨泰院惨事遺族協議会の代表を務めている。「稼ぐことには意味がありません、私にとっては」。せわしなく葬儀が過ぎ、地下駐車場に止めた車の中で大声で泣くことを繰り返していたある日、他の犠牲者の父親と連絡がつき、初めて対面した。「おかしいですよね。それが少しは慰めになったんですよ」

 合間あいまに塾講師として働いてきたチョ・ミウンさんは、「子どもたちが家に帰ってくる時間には、仕事の手を止めて世話をしに」家に帰る母親だったと自身のことを語った。「ジハンは、母さんのようにきちんとご飯の支度をしてくれる母親はいない、といつも言っていました」。惨事から2週間というもの、つらくて恐ろしくて見ることのできなかったニュースをようやく見るようになって、疑問は膨らんだ。孫の死を知らないジハンさんの祖父と、あふれる息子についてのフェイクニュースを気にして、最初は顔を隠したままインタビューに応じた。平凡な人生を送っていた彼らにとって、悪意あるコメントは文字通り「刀で突き刺される」ような感覚だった。やがて「私たちは恥じることもないし過ちを犯してもいないのに、なぜ隠れていなければならないのか」と思うようになった。

 チョさんは国政調査を求める先月の記者会見で「遺影の前で、おとなしかった昔の母さんは忘れなさい、お前の死の真相が完全に明らかになるまで遺族と共に闘士になる、と誓った」と語った。先日の国政調査特委では、イ・サンミン行政安全部長官の胸をたたいて怒りをあらわにしたかと思うと、改めて手を握って「申し訳ない」と言いながら泣いて訴えた。「母親だから。みっともなかったけど、わらにもすがりたかったんです」

 先週、緑莎坪駅広場の市民焼香所を訪ねたら、遺影一つひとつにカイロが貼ってあった。2014年5月9日に見た、大統領府近くの孝子洞(ヒョジャドン)が思い出された。子どもたちの遺影が強い春の日差しで色あせることを心配して、彼らはハンカチや布で遺影を覆っていた。当時、警察は3号線の景福宮(キョンボックン)駅から孝子洞住民センターの前まで並び、セウォル号の「黄色いリボン」をつけた市民の通行を遮断していた。今回はしてはいない。その代わり、あらゆるプラカードを広げ、人が集まりさえすれば拡声器でがなり立てる極右系の団体がいつもそばにいる。大統領府は当時、遺族たちの大統領面談要請に「『純粋な』遺族ならば会う方針」だと語った。大統領との面談を要請する国民提案に今、大統領室は一言もない。

チョ・ミウンさんと夫のイ・ジョンチョルさんが元日午前、惨事現場を初めて訪れた。チョさんは「これまで怖くて来られなかった。息子とここで亡くなった子どもたちの悲鳴が聞こえてきそうで」と言って座り込んで嗚咽した=キム・ボンギュ先任記者//ハンギョレ新聞社

 市民焼香所を訪れた唯一の政府関係者はハン・ドクス首相だ。極右団体関係者との握手と乱横断事件として記憶に残っているが、彼の予告なき訪問は決して悪意からのものではないと信じる。だったらなおさら、罵詈雑言を浴びたり、それよりひどい目にあったりしたとしても、その場にとどまって謝罪すべきだった。そうしていたなら、今ほど遺族が政府から徹底的に無視されているとは思わなかったはずだ。

 大韓民国の国民の誰一人として、梨泰院惨事がセウォル号惨事と同じ結末を繰り返すことを望んではいない。それは遺族が最も切実に感じていることだろう。ある人は彼らの発言が時に直接的すぎると考えるかもしれないが、実のところ遺族たちは「政争」という枠組みにはめ込まれてしまうことを懸念し、胸にたまった怒りと疑問のすべてを吐き出すこともできないと語る。

 賠償や補償への言及が遺族に対する「侮辱」だというのも、ややもすると「子どもを売っている」というような非難がわずかな真相究明の機会さえも吹き飛ばしてしまうのではと懸念する気持ちの表れかもしれない。それでも先月27日、梨泰院惨事国政調査特委の質疑で、共に民主党のシン・ヒョニョン議員の「ドクターカー乗車問題」(惨事当日、シン議員を乗せた緊急出動車両が現場に遅れて到着した問題)ばかりにしがみつく与党議員たちに向かって、チョ・ミウンさんと遺族たちは激しい感情をぶちまけた。その場にいた国民の力のチョ・スジン議員は遺族たちに対して「(民主党の)味方じゃないか」と言い、質疑会場から出ていった。仮に民主党が与党であったとしても、同じ状況なら遺族の怒りは同じであったことが、チョ議員には本当に分からないのだろうか。

 難航の中の国政調査特委ではあるが、遺族名簿の存在をめぐりソウル市とイ・サンミン行政安全部長官の相反する証言が飛び出し、ソウル地方警察庁のキム・グァンホ庁長の否定にもかかわらず、2017年から毎年ハロウィーンに警察が雑踏管理対策に則って梨泰院に警備隊を配置していたことが確認された。7日に国調がこのまま終了してしまえば、このようなかけらは単なる真実の破片として残るのみとなるだろう。

 新年の辞で梨泰院惨事には言及さえしなかった尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領は、2日の朝鮮日報とのインタビューでは「政務的な責任も、責任というものが存在してこそ問える」と語った。ここまで来ると、惨事を「なかった事件」、遺族を「ない存在」と考えているような意図的無視だ。国民を「選択」できる大統領はいない。検察総長尹錫悦を応援し、「政治経験がなくても参謀たちをうまく使えばいい」という考えから大統領選挙では尹錫悦に票を投じたというイ・ジョンチョル代表は、「なぜ私たちをこのように打ち捨てておくのか分からない」と語った。

 カカオトークのグループチャットには今や、109人の国内犠牲者の190人あまりの遺族が参加している。「年齢も、住んでいる場所もとにかく多様なので、考え方も違う。でも真相が究明されるまで、一人も落後しないようにしようとみんなが言っている」。 今、遺族を闘士にしているのは誰なのか。

//ハンギョレ新聞社

キム・ヨンヒ|論説委員室長 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/1074064.html韓国語原文入力:2023-01-02 14:40
訳D.K

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