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[寄稿]尹大統領の「我が闘争」、私たちが同類になってはならないこと

登録:2022-11-18 03:57 修正:2023-03-20 07:46
「タンポポ」という新生オンラインメディアが家族の同意なしに梨泰院惨事の犠牲者の名簿を発表した。哀悼の意というより政治的目的が、敵意が染みついていると感じるのは私だけだろうか。このような行為は、むしろ政権勢力に口実を提供しうる。尹錫悦政権の成立からして、民主党の強硬議員や極端な支持者たちによってむしろもたらされた部分が大きいということを省察しなければならない。 

ホン・セファ|ジャン・バルジャン銀行頭取、「素朴な自由人」代表
//ハンギョレ新聞社

 フランスの哲学者ミシェル・フーコーは、著書『社会は防衛しなければならない』でカール・フォン・クラウゼヴィッツの「戦争とは、異なる手段をもって継続される政治に他ならない」という言葉をひっくり返し、「政治とはほかの手段によって継続された戦争」だと述べた。トマス・ホッブズの社会契約論を排撃し「国家の誕生を導いたのは戦争」だと述べた彼の仮説的言説が注目されはじめたのは、尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領の就任から6カ月が過ぎたころだ。機会あるごとに「自由」を叫んできた尹大統領に多元的自由主義思想にもとづいた統治行為を見出すのは難しいが、ナチズムに理論的基礎を提供したカール・シュミットの主張――政治の本質を、和解しえない味方と敵との闘争に見出した――を見なければならなかったからだ。

 文在寅(ムン・ジェイン)政権で不意に訪れた機会をつかんだ彼には、ある政治哲学をもとに国を導いていくというビジョンや青写真は、そもそもなかった。大統領当選そのものが目的であり、いきなり大統領になった。現実政治の経験はなく、ひたすら犯罪(者)に立ち向かう戦場で生きてきた検事だった。政治、政策をめぐって競争するのではなく、有罪無罪、闘争の人生を生きてきた。競争と闘争の違いは、相手を認めるか否かにあるが、検事の相手は否定され社会から排除されるべき犯罪者だけだ。そのような検事に、人間一人ひとりに立ち止まり、ためらい、震え、動揺のようなものを感じることを期待できるだろうか。このような訓練は彼に、国家運営の最高責任者として反対側の忠言や苦言に耳を傾けることで足りない学習を満たそうと努力させるのではなく、21世紀の韓国版ラスプーチンに頼る方を選ばせたのかもしれない。

 尹大統領が就任からの6カ月間で示したのは、大統領室の龍山(ヨンサン)移転や女性家族部廃止をはじめとするワンマン的強行と、彼我を識別して「味方」は引き込み「敵」は突き放す行為が大半だった。「自分側の人間」を要職に就かせた人事、そのような人事を通じた検察・警察対立と監査院の運営、任期が保障された国民権益委員長らに対する辞任圧迫、言論統制などは、すべてそのような「彼我の区別」に準拠したものだった。国民の力のイ・ジュンソク前代表を追い出したこと、口では公正と常識の回復を強調していたにもかかわらず、行動では妻のキム・ゴンヒ氏に関する雑音には耳を塞ぐ不公正、自身の失言を認め謝罪するのではなく握り潰すという非常識を示したことも、同じ範疇に属する。

 そのあり方を見る時、現在の韓国の政党政治の場に与党は存在しない。共に民主党と正義党は言うまでもないが、政権与党である国民の力も以前の文在寅政権に反対する野党の態度、立法権力である国会の多数を占める民主党に反対する態度を示しているに過ぎない。反対し合う野党だけが存在するため、与野党の協治や統合は実現不可能な注文だ。政策の違いや競争に対する認識が足りないため、過去の文在寅政権の統治行為は統治行為とは認められず、法的制裁の対象になる。その結果、法律上は独立機関である監査院は前政権を監査し、検察は民主党のイ・ジェミョン代表を標的にした捜査に集中している。前政権と断絶するとしてこれらの機関には「自分側の人間」ばかりを据え、教育、労働、経済、外交、国防などの分野には旧態依然の極右的な人物を主に起用した。結局のところ、尹大統領が整えた陣容は過去への退行だ。民主主義と人権はもちろん、南北関係をはじめとするあらゆる分野での退行だ。前政権時代の各種の癒着不正の洗い出しくらいが、せめて尹政権に唯一期待できる肯定的な役割だといえるかもしれない。

 セウォル号惨事は遠い昔の出来事ではないにもかかわらず、私たちはまたしても158人の尊い命を失った。見るに堪えない犠牲を前にして、政権勢力は公的責任を痛感し、二度とこのようなことが起こらないよう対策を模索し、講じるべきだった。しかし、責任者たちは責任逃れの発言で一貫し、政権に及ぼす影響に神経を尖らせるばかりだった。封建時代の王も日照りや水害が発生して民が苦しめば、自らの不徳のせいだと天を仰ぎ、ひざまずいた。突然の大統領室移転で、龍山警察署にかかる大統領警護の負担が非常に重くなっていたということは否定できない。しかし尹大統領は、警察庁を管轄するイ・サンミン行政安全部長官を罷免せよという最小限の要求さえ無視している。このような「彼我識別法」に則ったものだろうが、代わりに警察を叱責し、龍山署の情報係長が自ら命を絶つという残念な事件が起きた。

 出生率は世界で最も低く、自殺率は最も高い大韓民国。社会を温かく抱擁しても足りないのに、各界各層から怒りが噴出している。怒りは敵意へと、さらには憎しみへと進化しうる。尹大統領の搭乗する航空機の墜落を祈った宗教家までいた。孟子が人間の本性としてあげた仁義礼智の四端、すなわち惻隠の心、羞悪の心、辞譲の心、是非の心が私たちからはるか遠くへと離れつつある。政権勢力に立ち向かうにしても、同類になってはならない。「タンポポ」という新生オンラインメディアが家族の同意なしに梨泰院(イテウォン)惨事の犠牲者の名簿を発表した。哀悼の意というより政治的目的が、敵意が染みついていると感じるのは私だけだろうか。数字のみで表示されても哀悼の意を十分に表現できないということには、十分に同意する。しかし、感情移入できるようにする物語のない名前だけの発表は、数字のみの発表と大した違いはない。このような行為は、むしろ政権勢力に口実を提供しうる。尹錫悦政権の成立からして、民主党の強硬議員や極端な支持者たちによってむしろもたらされた部分が大きいということを省察しなければならない。

 だからこそ強調するのだが、「尹錫悦退陣のろうそく」を掲げようと扇動するなかれ。まだその時ではなく、ややもすると逆風を招きかねない。今、尹政権に立ち向かう最優先の方策、市民社会が提起すべきことは、民主党と正義党に未来志向的な立法権力を行使するよう強く求め、それを貫徹することだ。黄色い封筒法など、言うだけにとどまっている法案は一つや二つではない。国家保安法と政党法の廃止、労働法の改善、教員と公務員の政治基本権、差別禁止法の制定、比例代表の拡大、決選投票制など…。振り返ってみよ。これらのうちの一つでも、いわゆる「検捜完剥法」、「公捜処法」に傾けた力量の10分の1でも傾けたかを!

//ハンギョレ新聞社

ホン・セファ|ジャン・バルジャン銀行頭取、「素朴な自由人」代表 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/1067769.html韓国語原文入力:2022-11-17 18:50
訳D.K

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