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[山口二郎コラム] 日本政治の深い分断

登録:2022-11-07 07:17 修正:2022-11-07 08:19
9月27日、東京千代田区の国会議事堂正門前で安倍晋三元首相の国葬反対集会が開かれている=東京/キム・ソヨン特派員//ハンギョレ新聞社

 今、世界の先進民主主義国は、どこも分断に悩んでいる。その大きな理由は、利益追求を至上目的とするグローバル資本主義が放置され、格差や貧困が広がっていることである。

 最近の世界的インフレーションは、問題を一層深刻化している。富裕層や企業に課税し、弱者に再分配することが政府の役割であるはずだが、そうした政策はなかなか実現しない。岸田文雄首相は昨年就任した際に、分配の公平を旨とする「新しい資本主義」というスローガンを唱えたが、この掛け声は聞かれなくなった。最近では、国民に株や投資信託を買うことを呼びかける「資産所得倍増」というスローガンを唱えるようになった。しかし、元手をもたない庶民にとっては無縁の話である。

 経済的な分断だけでなく、社会そのものが相いれない考えをもつ人々に分かれて行って、対立、緊張が深まるというケースもある。アメリカがその典型である。アメリカでは妊娠中絶や同性愛の是非をめぐって意見の対立が存在してきた。ドナルド・トランプ前大統領が保守層の支持を得るためにそれを増幅し、意見の異なる政敵を罵倒することによって、亀裂は深まった。トランプ氏の場合、選挙で負けるのは不正があるせいだという陰謀論をまきちらし、民主主義のルールそのものを破壊しようとする点で、罪深い。まもなく行われる中間選挙では共和党が優勢であり、その結果次第ではアメリカ政治がマヒ状態に陥る恐れもある。

 日本でも、安倍晋三首相の時代に社会の分断が進んだ。日本の場合の対立点は、「伝統」やナショナリズムの評価である。安倍元首相は、戦後に制定された憲法の改正をはじめとして伝統回帰を唱え、外交についてはアジア近隣諸国との対決姿勢を売り物にしていた。人口減少、経済停滞が続く閉塞状況の中で、ナショナリズムや伝統を誇示する政治家に救いを求める人々もかなり存在する。こうした人びとは、現状肯定の保守的な雰囲気を作り出した。

 もっとも、政治家の言う伝統が本当に日本古来の文化や生活習慣なのかどうかは明らかではない。たとえば、保守的な政治家は選択的夫婦別姓制度について、日本の伝統的家族を壊すとして反対している。日本で一般庶民が名字をもつようになったのは近代に入ってからである。保守的な政治家とそれを支持する人々は、自分たちにとって好ましくない理念や価値観、男女平等や個人主義について、伝統に反するとか、場合によっては共産主義的だと言って非難してきた。昨今話題の旧統一教会は、そうした復古的な考えを教育や家族制度に適用する政治運動を行って、自民党と関係を深めていった。

 安倍元首相の権力私物化の疑惑や国会における虚偽答弁には一切目をつぶり、安倍政治を賛美する人々は、アメリカにおけるトランプ支持者と重なる。対話不能の対立が日本でも生まれつつある。

 ただ、熱狂的な安倍支持者だけを偏っていると批判することはできない。安倍元首相が非業の死を遂げたことは、悲劇であり、政治的な立場を超えてその死を悼むことは人間としての常識だと私は思う。10月25日に、衆議院本会議で野田佳彦元首相が安倍元首相に対する追悼演説を行った。その中で、安倍氏に対して、最長の政権を持続した指導力を評価するとともに、「歴史の法廷に、永遠に立ち続けなければならないさだめです」と述べて、その罪の部分についても問い続ける姿勢を明らかにした。その意味でバランスの取れた演説だった。

 しかし、インターネットには安倍政治に反対してきた識者や市民による野田演説批判が吹き荒れた。野田氏は安倍氏を礼賛するばかりでけしからんというのである。私はこの種の議論を読んで、救いようのない、暗い気分に陥った。私も安倍元首相が民主主義や議会政治のルールを破壊したという批判を繰り返してきた。しかし、悲劇的な死を遂げた政治家を葬送するに当たっては、相応の作法というものがある。

 社会の分断が広がり、異なる考えの人々の間で言葉が通じなくなれば、民主主義の土台が崩壊する。安倍元首相の殺害という衝撃的事件を契機に、安倍政治を支持した人も批判した人も、議論の仕方を再確認する必要がある。

//ハンギョレ新聞社

山口二郎|法政大学法学科教授(お問い合わせ japan@hani.co.kr)

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/1065986.html韓国語記事入力:2022-11-07 02:39

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