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遅きに失した…韓国はいかにして少子化の罠にはまったのか

登録:2022-07-05 04:11 修正:2022-07-05 12:35
歴代政権の少子化対策が与えてくれる教訓は明白だ。問題認識が遅れれば政策対応が遅れ、対応が遅れれば今日の一針明日の十針になるということだ。政府と知識社会が見逃している政策課題がないか、随時するどく目を光らせておくべき理由はここにある。問題意識が貧弱であれば、政策対応も見るべきものにはなり得ないということも忘れてはならない。
文在寅政権時代、大統領直属の少子・高齢社会委員会のキム・サンヒ副委員長が2018年7月5日、ソウル世宗路の政府ソウル庁舎で「働きながらの子育てが幸せな国作りに向けた核心課題」を発表している。後列は左から当時の雇用労働部のイ・ソンギ次官、パク・ヌンフ保健福祉部長官、キム・サンゴン社会副首相兼教育部長官、チョン・ヒョンベク女性家族部長官/聯合ニュース

 政策の始まりは「問題」だ。ある現象や事件を誰かが敏感に問題だととらえ、処方を求めてこそ、その問題は「解決すべき社会問題」として意味を帯びる。

 封建社会において貧困は問題ではなかった。多くの人々が貧しかったし、富と貧困は個人が勝手に変更できない身分によって決定されていたからだ。よって人々にとって貧困は当然で、単なる運命だった。問題だという認識がなかったから、国家と社会の介入もなかった。しかし問題だという認識がないからといって、貧困の苦しみがないわけではない。ただ、当時は苦しみは無視され、放置されていたにすぎない。人類が直面してきた「社会悪」である貧困が重要な社会問題だと認識され、国家の介入による近代的意味での社会政策が本格的に登場したのは19世紀以降のことだ。

 問題は認識され、そして規定される。認識に則った診断がなければ政策もない。1970年の1年間で、大韓民国では約101万人の新生児が生まれた。当時、ひとりの女性が一生の間に産むと予想される子どもの数、すなわち合計特殊出生率(出生率)は4.53人だった。10年前の1960年には6人だった。爆発的な人口増加を憂慮した朴正熙(パク・チョンヒ)政権は、1961年から国策事業として家族計画という名の産児制限政策を展開した。その結果、1983年には出生率が2.06人にまで低下した。一見、かなりの政策的成果を収めたようにみえる。だが注目すべきは、出生率2.06人という数値の意味だ。

 ある社会が現在の人口規模を維持しうるに足る出生率は2.1人だ。少子化とは出生率がこの数値以下になる現象だ。したがって2.06人という数値は、韓国社会が少子化状態に入ったため、今や産児制限政策はやめるべき時になったことを意味した。しかし当時の全斗煥(チョン・ドゥファン)政権も知識社会も、これを問題として認識できていなかった。産児制限政策はその後も続き、出生率の下落は続いた。

 少子化問題は、政策対応において問題認識がどれほど重要かをよく示している。政策は「タイミング」だ。少子高齢化などの人口問題は、欧米諸国や日本の経験をみれば、社会現象として固まる以前に対応してこそ効果も大きく、コストもも少なくて済む。対応時期を逸すれば莫大な資源を投入しても効果が出るのは遅く、不確実だ。残念ながら韓国社会の少子化対応は問題認識からして遅れ、それとともに対応も遅れざるを得なかった。これは「少子化の罠」を生んだ。

 1980年代半ばから90年代半ばにかけての出生率は1.6~1.7人で、人口が維持できない低い水準が続いた。にもかかわらず、産児制限政策は全斗煥、盧泰愚(ノ・テウ)、金泳三(キム・ヨンサム)政権でも続いた。家族計画事業が廃棄されたのは1996年になってからだった。

 金大中(キム・デジュン)政権時代の2001年、韓国の出生率はいつの間にか1.31人にまで低下していた。出生率1.3人未満は超少子化に当たる。2002年には出生率がついに1.18にまで落ちた。これで韓国は超少子化国家になった。事ここに至っても依然として社会的問題という認識は明確ではなく、まともな政策対応も取られなかった。

 少子化は高齢化を加速する主な要因でもある。高齢化問題は少子化に比べて比較的早い90年代初めにはじまっているが、本格的な関心の対象になったのは、人口に占める65歳以上の高齢人口の割合が2000年に7%を超えてからだ。ただし高齢化対策の必要性を訴える声があがっただけで、政策にはつながらなかった。

 韓国社会が少子高齢化という人口危機問題を政府の政策課題であると認識し、対策に乗り出したのは結局、盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権が発足した2003年ごろからだ。遅ればせながら対策に乗り出した政府は2004年2月、高齢化および未来社会委員会を発足させ、2005年5月に少子・高齢社会基本法を制定した。この法により委員会はその年の9月、大統領直属の少子・高齢社会委員会に格上げされ、翌年から5年ごとに政府レベルの中長期計画を樹立し、執行している。

 政策を練って執行したからといって、政策の効果が現れるという保障はない。当然にも金(予算)と人(人材または組織)によって適切に支えられなければならない。このような裏付けがあったとしても、診断が間違っていて対応の方向性がずれていたら、やはり効果はあがらない。正確な診断、適切な目標、実現が可能で市民に受け入れられる効果的な手段などがすべてうまく作動しなければならない。

 少子化対策にはこれまでかなりの額の資金と人材が投入されてきた。にもかかわらず「百薬が無効」という言葉が出てくるほど、改善どころか悪化の一途をたどっている。1970年には100万人を超えていた出生児数は、2021年には26万5000人と1970年以降の最低値で、右肩下がりだ。2010年以来1.2人前後を保っていた出生率は、2018年には0.98人で1人以下に落ちたと思ったら、2021年にはついに0.81人。大韓民国は経済協力開発機構(OECD)加盟国の中で唯一、出生率が1人未満の国だ。

 総人口の減少は必然だ。大韓民国の人口は2020年の5184万人を頂点としてその後は減り続け、2070年には1970年代の人口とほぼ同じ3766万人となる見通しだ。超少子化は深刻な高齢化へとつながり、高齢者の割合も2025年には20%を超える見通しだ。そのため老年人口指数(100人の生産年齢人口が扶養する65歳以上の高齢者の人口)が大幅に上昇し、経済成長は鈍化し、年金財政の収支は悪化するだろう。

 どうしてこのような事態にまで至ってしまったのだろうか。何が韓国社会を「出産忌避社会」にしたのだろうか。政府の政策はなぜ出生率の急落を防げなかったのだろうか。少子化対策は遅れた問題認識、遅れた対応だけが問題だったわけではない。政策目標もずれていたとする評価も多い。

 政府の少子化対策は、盧武鉉政権時代の2006年の第1次少子高齢社会基本計画から本格化した。政府は法に則って5年ごとにこれを更新し、現在は第4次計画が実施されている。これらの計画は様々な批判を浴びてきた。

 専門家は「出産力向上」という初期の政策目標が誤りだったと指摘する。「出産力を上げることは、目標にはなりえなかった。政策の目標は妊娠、出産、子育てが負担とならないように条件を整えることでなければならなかった」(キム・ヨンイク)という省察だ。しかし、このような基調は李明博(イ・ミョンバク)、朴槿恵(パク・クネ)両政権にも引き継がれた。

 文在寅(ムン・ジェイン)政権は第3次基本計画の目標を修正したのに続き、第4次基本計画を立てた。文政権は「(既存の)デパート式に並べられた課題を整理して整合性を高めるとともに、何より個人の生活の質の向上という新たな政策パラダイムを提示した」と発表した。具体的には夫婦の育児休職の活性化、公保育の拡充などを実行したが、「新たなパラダイム」は国民の共感が得られず、実行戦略すら不在だったため、超少子化の流れを遅らせることも変えることもできなかった。

 少子化という難題に対する尹錫悦(ユン・ソクヨル)政権の対応の方向性は、まだはっきりしていない。尹政権が110大国政課題で少子化分野を扱った部分は「安全で質の高い養育環境の造成」というものだけだ。これには親給与(0~11カ月の子を持つ親に月100万ウォン(約10万4000円)支給)が含まれているが、内容が全体的に充実していないという評価が多い。高齢化部門も「100歳時代の雇用、健康、ケア体系の強化」という部分で高齢者雇用の拡充などに言及しているものの、既存の政策を繰り返しているだけの水準だ。

 尹政権は先月24日、企画財政部第1次官をチーム長として人口危機対応タスクフォース(TF)を発足させ、初会議を開いた。これを通して7月から対策を発表するというのだが、韓国社会の最重要の難題である少子高齢化に対する問題認識そのものが貧弱に見え、懸念される。

 実際には韓国社会の長年の人口危機の難題である少子化問題は、一政権の任期内に成果を出すことは難しい。理念と政権を越え、持続的かつ一貫した政策を集中的に展開することが重要だ。時には果敢な政策の革新も図らなければならない。韓国社会の未来のためには、この難題を必ず解決しなければならないからだ。

 歴代政権の少子化対策が与えてくれる教訓は明白だ。問題認識が遅れれば政策対応が遅れ、対応が遅れれば今日の一針明日の十針になるということだ。政府と知識社会が見逃している政策課題がないか、随時するどく目を光らせておくべき理由はここにある。問題意識が貧弱であれば、政策対応も見るべきものにはなり得ないということも忘れてはならない。

//ハンギョレ新聞社

イ・チャンゴン|先任記者兼論説委員

社会政策博士。福祉を中心に労働、住宅、環境などの社会政策課題をあまねく扱ってきた。機動取材チーム長、地域編集長(全国部長)、副局長、ハンギョレ社会政策研究所長などを歴任。特にハンギョレ経済社会研究院長を務めた際には不平等、福祉国家、生態危機などを今の時代の核心議題とすることに努めた。著書に『福祉国家を作った人々』、『不平等韓国、福祉国家を夢見る』(共著)、『成功した国の不安な市民』(共著)などがある。 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/1049618.html韓国語原文入力:2022-07-04 18:18
訳D.K

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