先日行われた北京冬季五輪の開幕式は、一部の韓国ネチズン(ネットユーザー)たちの間にいわゆる「韓服論議」を触発させた。中国の56の少数民族代表が揃って一緒に中国の五星紅旗を運んだが、その中に中国同胞(朝鮮族)と見える一人の女性が韓服(韓国の伝統的な民族衣装)のような服を着ていた。実際、驚くことでもないし「論議」を起こすようなことでもない。少数民族が登場する中国のほとんどすべての公式行事では、少数民族の一つである延辺(ヨンビョン)の中国同胞女性が慣習的に韓服を着たりする。必ずしも中国だけのことでもない。ロシアの高麗人は、多民族国家としてのロシアの性格を誇示する行事のたびにいつも韓服を着る。在米同胞もたびたびそのようにする。ところが、中国など隣国を除けば、どの国に対しても韓国のネチズンたちの間で「韓服論議」は起きない。中国以外の世界のどこかで韓服が登場すれば、韓国のネチズンたちにはそれがかえって“国威宣揚”と捉える可能性の方が高い。しかし、東アジアの領域内国家、中でも特に中国で登場する場合には、「文化工程」ないし「歪曲」という疑惑が直ちに生まれるのだ。
理由は自明だ。欧州、北米ないし南米、アラブ圏などとは違い、東アジアには何らかの超国家的な包括的地域国家連合などがまだ成立したことがない。さらには、欧州や北米における英語や、中南米におけるスペイン語、中東におけるアラビア語や旧ソ連地域のロシア語のような地域的共通語さえもない。前近代東アジアの共通語は漢文だったが、最近の韓国では大学生のうち自分の名前さえも漢字で書けない人が10人に2人程度はいる。ここノルウェーのオスロ大学で、中国、韓国、日本の留学生が互いに会うと、おぼつかない英語で話を交わすのが普通だ。朝鮮半島の分断、そして一方には北朝鮮-中国の同盟、他方には韓-米-日の同盟の間の対立まで重なって「東アジア共同体」と言えるようなものは実際のところ何もない。
このような状況で、東アジア諸国は文化民族主義をきわめて排他的な方向に発展させてきた。共通の過去の地域文化を「我々の民族文化」のような方式で専有し、過去の歴史などに対し排他的所有権を主張する。韓国のネチズンたちが特に中国に対して「文化工程」疑惑を抱いているが、実際は韓国、中国、日本、そして北朝鮮、ベトナムの「我々の民族文化」の構築方式にはさほど大きな違いがない。その排他性や過去の地域文化の非歴史的な「民族化」は同じだ。
いくつか事例を挙げてみよう。欧米の学者をはじめ一部の良心的な日本の学者も、日本の君主の称号である「天皇」の由来を、元は中国から伝来した道教に求めている。古代中国の「天皇大帝」など道教の神格が日本に紹介され、君主の称号にまで影響を与えたということだ。しかし、果たしてこのような学説が日本の学校の教科書で紹介されうるだろうか?答は火を見るより明らかだ。
それでは大韓民国はどうなのか。今回の「韓服論議」と関連して、国民の力のユン・ソクヨル大統領候補は「高句麗と渤海は大韓民国の誇らしく輝かしい歴史」と反応した。渤海の一部の遊民が、高麗に吸収されて大韓民国まで続く朝鮮半島の歴史の一部になったことは事実だが、また別の渤海遊民集団が遼国や金国にも存在し、歴史に重要な役割をしたという事実をわざわざ排除する必要があるだろうか。実際、高句麗・渤海文化は朝鮮半島文化に吸収されただけでなく、後に清国を建国した女眞(満洲人)にまで影響を及ぼすなど、東北(満州)地域文化の基盤を構築したが、韓国(と北朝鮮)の教科書はたいてい高句麗・渤海を排他的に朝鮮半島の歴史にのみ帰属させる。
そうかと思えば、中国政府の刊行物では高句麗を「中国の少数民族政権」と表記し、その歴史に対する“所有権”を主張したりもする。20世紀になって中国語に入ってきた「少数民族」という表現を古代史に適用させること自体が非歴史的であり無理があるが、中国政府や官営知識人は意に介さない。歴史に今日の民族主義的欲望をそっくり投影させているわけだ。
事実、こうした排他的な民族主義の宴に潜在的に最も不利なのは、まさに韓国の立場だ。韓国の貿易依存度は、中国や日本、あるいは北朝鮮やベトナムよりはるかに高い。そして東アジア地域内で最も多いディアスポラはまさに朝鮮半島出身だ。地理的にも朝鮮半島は東アジア地域の“中間”に位置している。そのような状況では、過去の地域的文化遺産を東アジア住民すべての共同遺産として扱う、より物静かで客観的な立場が長期的で包括的な意味の韓国の“国益”にさらに符合する。しかし、中米対立が激化して、韓国国内で中国に対する嫌悪感情が無分別に噴出する中で、大統領選挙政局をむかえて「有権者の反応」を何がなんでも得たい政治家までが加勢して、なんら肯定的な意味も必要もない「韓服論議」を、あたかも大変なことにように膨らませた。
たとえば、国会の文化体育観光委員会に所属する国民の力の議員は5日、声明を通じて、何の具体的な根拠もなしに中国の「文化東北工程」を「強力に糾弾」した後、次のような驚くべき主張をしてのけた。今、欧州では中国人が堂々と韓国食堂を開き、韓流を金儲けに利用し、韓国料理の品格を落としているということだ。この論理に従えば、オスロでよく寿司店を営む韓国人海外同胞は「他国の食べ物」を売らずに自主廃業しなければならないだろう。21世紀に、先進国になった国でこのような自閉的国粋主義が国会で発話されるということが衝撃だ。一方、共に民主党のイ・ジェミョン大統領候補も「文化工程反対」を叫ぶなど、この排他主義的感情の噴出に対してまともな対応ができず、むしろ便乗するばかりだった。
残念なことだ。市民に冷静さと客観性、そして包容性と国際感覚の模範を示すべき政治家たちが国粋主義的狂乱に加勢すれば、状況を大々的に悪化させるだけだ。事実、民主化を自分の力で成し遂げた唯一の東アジアの国である韓国こそが、文化を所有しようとする退嬰的な排他主義に最も対抗できる領域内国家だ。私の夢は、韓国で次第に「韓国史」という名の一国の歴史の代わりに、世界史的ないし地域史的脈絡から見た朝鮮半島の歴史を、各級学校と大学で教えることだ。視野を東アジア地域全体や世界へ広げてこそ、様々な文化が互いに交流し交じりあった朝鮮半島の過去と現在を正しく理解できるからだ。そのような科目を履修する学生たちにとって、今回の「韓服論議」のようなハプニングがどれほど滑稽に見えるだろうか。