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[寄稿]大恐慌と“外国人嫌悪”ウイルス

登録:2020-04-28 20:51 修正:2020-04-29 08:03

自転車が倒れるたびに労働と消費の機会を失った人々の不満を体制に無害な方向にそらそうとする統治者は、スケープゴートとなる集団をすぐに探し出す。

最も容易なスケープゴートは、外観や言語で識別可能な可視的他者だ。

大恐慌以後の1930年代、欧州のユダヤ人とジプシーがどのような運命を迎えたかを、私たちはみな記憶している。

イラスト//ハンギョレ新聞社

 資本主義経済は、例えるならば自転車のような論理で動く。自転車は動き続けることで倒れずにいられるのと同じように、資本主義は流通と利潤、そして成長で持ちこたえる。消費されてこそ物が売れ、物が出て行ってこそ労働者の賃金や賃貸料が支払われる。賃金は再び消費に戻り、蓄積された賃貸料は投資に回る。このようにして利潤の蓄積で成長を遂げる方式で資本主義という名の自転車は前進する。ところが、もし生産、消費、利潤、投資の循環が止まるならばどうなるだろうか?すると直ちに危機の悪循環が始まる。消費が減れば生産も共に減る。すると労働者が解雇され、それによって消費がさらに萎縮する。賃貸料所得の崩壊とともに不動産が暴落し、投資がさらに萎縮して雇用の創出は不可能になる。このようになれば恐慌が来る。

 新型コロナ危機だけが資本主義という自転車をなぎ倒したわけではない。自転車はすでにかなり以前から故障していた。米国では製造業労働者の(インフレを考慮した)実質賃金は1970年代から事実上凍結されていた。労働者は持続的に価格が上がる不動産の購買を含めて消費の相当部分を“借金”で賄わなければならなかったし、“借金”を基盤とする経済の基本体質はどんどん虚弱になっていった。米国のみならず韓国を含む多くの産業社会は、過剰生産にともなう利潤率の低下と全面化された雇用不安による消費萎縮と家計負債の増加で苦しんでいた。マルクスが予言した通り、労働者の儲けから剰余価値を取り出して利潤を蓄積し再投資するメカニズムそれ自体は、自己破壊、すなわち恐慌の種を持っている。消費能力の劣る労働者が自分の作った物をもはや買えなくなれば、彼らから資本家が持ち去った剰余価値は生産ではなく投機に流れ、投機の終わりはすなわち株式市場の暴落と全体的恐慌の到来だ。

 パンデミックならずとも、1929年には長期にわたる過剰生産と消費萎縮、そして製造業の利潤率低下と投資の投機化によって、米国の証券市場は暴落し大恐慌が勃発した。今回は新型コロナ危機という予想外の変数が、資本主義という自転車に追加の打撃を加えたが、この自転車はすでにタイヤに穴が開いた状態であった。世界の証券市場が同時暴落することになった基本的な理由は、労働者の実質賃金と購買力が低下し、製造業の利潤率が下がっている状態で、それにあわせて途方もない資本が株式投機に集中していたためだ。新型コロナがなくとも2020年には不況が来るという予測が支配的だった。しかしそこへ新型コロナまで加勢したので、不況は恐慌につながるということだ。資本主義の自転車は、すでに本格的に倒れてしまった。

 資本主義という名の自転車が約10年に一回ずつ不況でぐらつき、約60年から80~90年に一回ずつ恐慌で倒れることになっているのは誰のせいでもなく、資本の主人が利益を得ているこの体制の欠陥のためだ。しかし、自転車が倒れるたびに労働と消費の機会を失った人々の不満を体制に無害な方向にそらそうとする統治者は、スケープゴートとなる集団を直ちに探し出す。最も容易なスケープゴートは、外観や言語で識別可能な可視的他者だ。大恐慌以後の1930年代に、欧州のユダヤ人とジプシーがどのような運命を迎えたかを私たちはみな記憶している。拝外主義の狂風は当時、欧州のみならず全世界を強打した。朝鮮も例外ではなかった。

 「万宝山事件」として知られている1931年7月2~3日に朝鮮各地で発生した中国人虐殺を記憶しているだろうか。日帝側が提供した「中国人による満州朝鮮人殺傷」に関する虚偽情報をそのまま書き写した朝鮮日報の誤報が導火線となり、大恐慌でドン底に落ちた朝鮮人下層労務者や失業者が、ライバルと考えてきた中国人を殺し略奪し始めた。実は朝鮮に暮らしていた中国人も、朝鮮人に劣らず恐慌で被害を受けていた。結局、被害者の中の一方の集団が別の集団に向かって暴力を行使したのだ。それを笑って見ていたのは、その時まで朝鮮人と中国人の間の仲違いに努めてきた日帝と、中国商人を競争勢力と認識していた朝鮮人資本家だった。

 いま、他者に向けたうっぷん晴らしと差別や排除は世界中に広がっている。中国人が欧米圏で物理的攻撃と言語の暴力に苦しめられている一方で、中国では黒人が“保菌者”と誤認され路上に追いだされている。1931年の万宝山事件と同様に、自然に発生した嫌悪では全くない。倒れる自転車を正しく立て直すことに失敗したトランプのような政治家は、必死に可視的な他者に理由をつけ、“有色人種”に対する排除を基盤とする白人集団の人種主義的結束に訴えている。トランプをはじめとする欧米圏の多くの指導者の「中国責任論」は、現在の欧米圏の状況で中国人をはじめとするすべてのアジア人に対する攻撃をそれとなく合理化し、そそのかしているといってよい。人種主義者らには、すべてのアジア人がみな同じように見え、中国人のみならず韓国人もしばしば暴力と暴言の標的になる。

 韓国での現状況は、欧米圏とは全く違う。新型コロナへの対応がはやく適合したために、統治者があえて外国に責任を転嫁する必要もない。また、貿易依存率が80%にもなる経済であるだけに、拝外主義の扇動を容易にできる社会でもない。それでも、“新型コロナ対応模範国”韓国だからといって問題が全くないわけではない。当初から韓国でも、朝鮮族同胞を含む中国公民に対する差別的視線はきわめて強く存在していた。中国、ロシアなどの俗称“貧しい国”、そこに安保・軍事上の韓国の後見国格の米国が潜在的敵国と見なす国から来た同胞に対するゆがんだ視線を煽っているのは、誤った政治・行政的判断だ。例えば今、京畿道など一部の地方自治体で、外国人のうち結婚移民者と永住権者までは災難基本所得の支給対象に含めても、中国同胞やロシア帰国同胞については事実上除外しようとしている。政治家たちは、国難を体験する時点で“国民の団結”を訴えるが、“国民”でない人々に戻ってくるのは排除される悔しさだけだ。ここで記憶しなければならないのは、中国・ロシア同胞も住民税、所得税、地方税、そして付加価値税などをすべて納めているという事実だ。すべての税金を納めても、一銭の恩恵も受けられない差別被害者集団が存在する社会は、果たして正義が生きている社会であろうか。

 他者に対する排除は、故障した体制を立て直すために役立つどころか害悪だけを及ぼす。どのみち故障しつづけざるを得ないこの体制より、一歩進んだ世の中を作り新型コロナ危機からも抜け出すために私たちにとって最も切実に必要なことは、他者に対する包容と協力だ!

//ハンギョレ新聞社
朴露子(パク・ノジャ、Vladimir Tikhonov) ノルウェー、オスロ国立大学教授・韓国学 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/942350.html韓国語原文入力:2020-04-28 19:05
訳J.S

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