本文に移動

[朴露子の韓国・内と外]新冷戦時代を生きる方法

登録:2022-01-05 20:55 修正:2022-01-06 10:52
新冷戦時代に冷静な両非難論だけでは不十分だ。一方では依然として両非難論は有効だが、他方では両側の市民が「私たち」の体制内で人権・民主・平等の理想を実践しようとする闘争こそが必要だ。「私たち」が属する陣営の問題を冷静に把握し、反対側に対する客観的理解のために奮闘しなければならない。
イラストレーション キム・デジュン//ハンギョレ新聞社

 クリスマスを過ごし新年を迎える年末年始は、本来暖かく幸せでなければならない。私は歳末に知人にメールを送るたびに「年末年始を幸せにお過ごしください」と一つ覚えのように付け加えたりする。しかし、今年は、私自身が幸福より不安と恐怖の方を痛感している。年末年始を幸せに送るには、こんにちの世界があまりに険悪なためだ。

 当然の帰結だが、2020年代初期から欧米圏の覇権は次第に過ぎ去った“過去”になりつつある。購買力基準(PPP・purchasing power parity)で見るならば、26兆ドル規模の中国の国内総生産(GDP)は、すでに米国(22兆ドル)をはるかに凌駕し、そのギャップは次第に大きくなっている。視野をやや広げてみれば、清国が世界の商品生産の中心だった第1次アヘン戦争以前の状態に戻ったと言っても過言ではない。同時に、インド(約10兆ドル)とロシア(4兆ドル)、インドネシア(3兆ドル)とブラジル(3兆ドル)の国内総生産を合わせれば、欧州連合(20兆ドル)という欧米圏のもう一つの中心とほぼ同じ水準になる。韓国(2.5兆ドル)とトルコ(2.7兆ドル)の国内総生産を合わせれば、日本(5.5兆ドル)に比肩するほどだ。要するに、一時米国、欧州、日本などの先進圏を中心に回っていた世界経済は、もはや欧米圏・日本とアジアの新興国家に「二分」されたようなものだ。

 しかし、欧米圏帝国主義覇権の相対化は平和になされるはずがない。反対側、特に中国とロシアにもすでに軍需産業と巨大な軍隊、情報機関、そして宣伝メディアなどを動員できる「帝国主義」が成立したのだ。欧米圏帝国主義とその反対者の間の世界的対決を称して、私たちはよく「新冷戦」という言葉を使う。1989年に完結した元来の冷戦とは異なり、この新冷戦の勝者を察することは決して容易でない。1985年、改革以前のソ連は国内総生産が米国の半分にも達しなかった。このような経済力で米国と武器競争を行うことは、究極的に敗北のゲームだった。しかし、今日の中国の生産力は米国をすでに圧倒し、現時点で残された課題は、今まで欧米圏と日本の独壇場であった世界金融圏に対する影響力の拡大であろう。中国とロシア、そしてその影響圏(ベラルーシ・カザフスタンなど)の国家の総人口は、欧米圏・日本の人口の1.5倍以上だ。従って過去の冷戦とは異なり、新冷戦が窮極的に世界覇権の多極化、すなわち列強競争の長期化・制度化につながる可能性がやはり大きい。私たちは今後、少なくとも数十年間は新冷戦を生きていかなければならないという話だ。

 新冷戦は過去の冷戦と同じように、帝国主義国家間の対立と対決だ。核兵器の時代であるだけに両側は全面的な熱戦は回避するだろうが、かつても今も周辺部の地政学的要衝地で(新)冷戦が熱戦に飛び火する。2011年から現在まで、およそ50万人の死者と行方不明者を生み、総人口の半分を避難民にしたシリア戦争は未だ終息していない。もし、ロシア軍が西側に対する“脅迫”水準を越えてウクライナを侵攻するならば、その被害規模はそれ以上になるだろう。実際、個人的に東部ウクライナは母の故郷でもあり、東南部には親戚一族が今でも居住している。この地域が全面戦争の戦場になりはしないかと心配し、平和で穏やかであるべきこの年末年始を私は不安と恐怖の中で送っている。

 危険千万なこの新冷戦の時期を、私たちはどんな心構えで生きていかなければならないだろうか。まずは、帝国主義的対立で両側が掲げる名分は現実とは違うという点から覚えておかねばならない。朝鮮戦争のまっただ中の1950年代、すなわち「旧」冷戦の最悪の最初の時期を考えてみよう。46万人の政治犯を含めて約240万人に及ぶ収容所の囚人の奴隷労働をむやみに使った時期のソ連は、その理念である「社会主義」の美しい理想とは実際ほとんど無関係だった。民衆に有利な面の多い社会であったことに間違いはないが、「平等」より「超高速開発」の方が重視された、マルクスやレーニンの夢とはあまりにも異なる所だった。それでは、依然として黒人に市民権を与えなかった人種主義の総本山である米国は、果たして名実共に「民主主義」国家だっただろうか?「第3の道」を模索した当時の韓国革新政党らの良心的知識人が認識したように、米・ソ両陣営は結局不平等と搾取で綴られた醜悪な現実を「社会主義」や「民主主義」という美辞麗句で糊塗したにすぎない。

 現在の両側の実情は果たしてどれほど変わっただろうか。米国は「西側陣営」の世界的戦列を整える目的で、2021年12月9~10日に韓国も参加した「民主主義サミット」を開いたが、まさにその時、皮肉にも米国のジュリアン・アサンジ送還要請を受け入れるという英国裁判所の判決が下された。イラク侵攻の内幕を世界市民に公開したアサンジを「スパイ法など違反の容疑」で迫害・弾圧している米国型「民主主義」の質は、果たしてどれほどなのか。そうかと思えば、少数民族文化の多様性を認める中国の国是である「多元一体文化論」と、ウイグル族に対する大量監禁と監視という厳然たる事実もやはり現実だ。米国であれ中国であれ、彼らが掲げる理念を歴史上一度もまともに実践したことがないということは、私たちが直視しなければならない現実だ。

 しかし、新冷戦時代に冷静な両非難論だけでは不十分だ。一方では依然として両非難論は有効だが、他方では両側の市民が「自分たち」の体制内で人権・民主・平等の理想を実践しようとする闘争こそが必要だ。過去の冷戦の経験を振り返ってみよう。その時期に米国を含む西側陣営の姿を永遠に変えたのは、共産主義ベトナムに対する侵略戦争に反対した市民の声だった。同じように、西側との対立がほとんど新たな戦争の直前まで行っている現在でも、ロシア市民がまだ原則的に出国の権利を享受できるようになった背景には、出入国自由化のために闘争したソ連時代の在野の人々の功労もある。分断と冷戦の最前線だった独裁時期の韓国で、リ・ヨンヒ先生の『8億人との対話』(1977)や『分断を越えて』(1984)のような「北方国家」に対する内在的理解のための先駆的努力が、結局は冷戦終息以後の解氷を招いた。今後、新冷戦の両極端の白黒思考に対抗して、私たちの時代の市民もこうした努力を傾けなければならない。「私たち」が属する陣営の問題を冷静に把握し、反対側に対する客観的理解のために奮闘しなければならない。

//ハンギョレ新聞社
朴露子(パク・ノジャ、Vladimir Tikhonov)オスロ国立大学教授・韓国学 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/1025974.html韓国語原文入力:2022-01-05 02:32
訳J.S

関連記事