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[寄稿]「エクストリーム・ジョブ」である韓国大統領とポピュリズム

登録:2022-01-21 02:30 修正:2022-01-21 09:12
チョ・ムニョン|延世大学文化人類学科教授

 選挙シーズンになると、中国の友人が冗談交じりにしていた話が思い浮かぶ。「私は韓国の大統領が世界で最もエクストリーム・ジョブ(極限的な職業)だと思う。銃で撃たれて死んだり、死刑を宣告されたり、飛び降りたり、監獄に行ったり…。それでも大統領になろうと躍起になって争っているのを見ると不思議だ」。国家主席が選挙では選出されず、地方官吏には悪口を言えても「中央」に対する批判はタブー視される国で生きて来たのだから、すぐそばで繰り広げられる大騒ぎが奇妙に感じられるのも無理はない。しかし、広場と選挙の騒乱を経て、この国は独裁を審判し、5月の光州を暴動から民主化運動へと変え、セウォル号惨事に対する国家の責任を問うてきた。光化門(クァンファムン)一帯を灯したろうそくは、中国人留学生たちにとっても騒々しい風景だった。混乱がなければ民主もないと堂々と語っていた時代だった。

 しかし、ろうそくで政権が交代して5年ぶりに行われる大統領選挙においては、自負は消えている。二大政党の候補は真っ裸で行進している最中だが、それを見て恥ずかしさを感じている有権者の方が隠れる場所を探し求めている。両候補いずれも民意に従うと語るものの、自分に有利な国民を選り好みし、フレームをはめる。国土保有税を新設すると述べて強力な分配政策を予告した共に民主党のイ・ジェミョン候補は「国民が反対するならやらない」といきなり前言を覆した。与党の相次ぐ性犯罪を非難してきた国民の力のユン・ソクヨル候補は自身のSNSに「女性家族部廃止」という7文字を残し、「国家と社会のために行うもの」とはぐらかした。国民を選り好みしつつも、語尾では常に国民とのコミュニケーションを強調し、一つにまとまった国民の意志が存在するかのように騒ぎ立てているのだから、ポピュリズム批判が沸き起こらざるを得ない。特に20~30代の男性をアンチフェミニストとしてまとめ、女性家族部と女性団体を懲らしめの対象にしたユン・ソクヨル候補と国民の力のイ・ジュンソク代表は、国民の内部に敵を作って支持者を扇動するという、最も薄っぺらいポピュリズムを演じている。

 実際のところ、二大政党の見苦しい姿はポピュリズムの断面に過ぎない。代議制民主主義が正当性の根拠を確立するためには、非専門家の介入をある程度容認せざるを得ないという意味において、ポピュリズムは民主主義の衰退ではなく、その条件だと研究者たちは力説する。草の根の民衆の抵抗運動もポピュリズムの歴史の一部であり、政治的に疎外された人々を結集して人民(people)と新たに定義するとともに、人民とエリートの区分そのものを争点化する闘争こそが民主主義政治の核心だ。権威主義の危険性を憂慮しつつも、ポピュリズムに可能性の契機を見出す理由がここにある。

 問題は、選挙が可能性としてのポピュリズムとは対極にあるということだ。イ・ジェミョン候補が資産所得階層を、ユン・ソクヨル候補がフェミニズム反対勢力を国民と受け取った時、彼らが読み取った民意とは単なる「票の行方」に過ぎない。候補が答えるべき国民は、政治工学的計算とコンサルティングを経た産物だ。そこに新たな冒険としてのポピュリズムを論じる余地はない。

 票の行方がすなわち民意だとしたら、票の行方によって平等と正義を実現する民意を作り出すことに最善を尽くしてきたのかを振り返ってみることになる。弱者の発言の場を作り出す民主主義を期待した人であれば、日常において期待にふさわしい人生を送ってきたのか、地位を剥奪されたり、自ら放棄したりした人々と連帯してきたのか、彼らが積極的な有権者国民として候補を緊張させられるよう手伝ってきたのか、自問すべき時だ。

 広場で民主化を叫んだ人々が、選挙で会おうと言って地域に戻り、意識化・組織化に尽力した時代があった。現在、私はインターネット金融コミュニティで意識化・組織化の新自由主義バージョンを目撃している。コロナ禍において労働者、貧困層、少数者が社会的議論の場の外に押し出された一方で、生活の不安に蝕まれた市民が投資の主体として歴史の前面に登場したのだ。労働を安く専有し搾取する時代にあって、「アリ(個人投資家)」たちは賃労働を拒否し、財テクでセーフティネットを編む。民衆-知識人という位階秩序ではなく水平的関係を強調し、知識と情報を分かち合い、空売りから分社化上場まで「不正義」を見逃さず、巨大企業の横暴に共同で対抗したりもする。187万人が登録するユーチューブチャンネル「3プロTV(サムプロティーブイ)」が大統領候補の討論の場を作って「国を救った」というくらいだから、組織化を夢見るのならここから学ぶべきというものだ。この抵抗の最終目標は各自が勝手にうまく生きていくことだ。光州の花亭(ファジョン)アイパーク崩壊事件では行方不明者の捜索作業が依然として行われているが、投資コミュニティではHDC株を損切りするか、それともこのままキープするかを巡り、議論が盛んに行われている。候補たちが先を争って資本市場の公正性の回復を叫んでいるのだから、この厳しい不平等の時代に「民意」の認証を獲得したのは、各自が自らの力で生き残るという夢、その程度だったわけだ。

//ハンギョレ新聞社

チョ・ムニョン|延世大学文化人類学科教授 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/1028028.html韓国語原文入力:2022-01-19 18:07
訳D.K

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