また一つ年を取った。私は1992年1月生まれだから、間もなく誕生日が過ぎれば正式に満30歳になる。新年を迎えると「将来」についての悩みが増える。さしあたり今年は何をして食いつないでいくかに没頭しているうちに「どうかなるだろう」という楽観で不安を振り払う。もっと創作と活動に打ち込もうと誓ったり、書くテーマの外縁も広げようという計画を立てたりする。しかし私の本格的な「将来」の悩みを触発した二つの要因は、楽観を容易に許さない。
一つは、昨年末に届いた国民年金保険料の調整案内の郵便だった。「老後所得を準備するためには、若いうちにできるだけ早く加入し、できるだけ高く所得を申告して保険料を着実に納付することが何より重要です」。郵便に書いてある説明に誤りはないのに、妙にはらわたが煮えくり返った。まず、私は国民年金の地域加入者だ。事業所加入者のように雇用主が保険料を共同で負担することも、国が支援してくれることもない。所得の9%を保険料として1人で支払う立場だ。老後のリスクを共に分かち合おうという国民年金なのに、なぜか「共に」という感じがしなかった。幸いなことに今年7月1日からは低所得の地域加入者への支援が実施される、というのは慰められる。
それでも悩みは解消されない。同年代の人々と老後の安寧について話し合う時、国民年金の話題はまったく出ない。今のような所得代替率と保険料率で国民年金が続けば、国民年金は2057年に枯渇する運命にある。2057年は1992年生まれの人がちょうど満65歳になる年だ。1日も早く年金を改革しなければ、保険料を一生懸命払ったとしても受け取れないのではないかという恐れがあるのだ。
もう一つは、昨年12月9日に発表された「将来の人口推計」だ。推計は2020年から2070年までの韓国の人口の変化を予測している。今回の推計は、2019年のものから超高齢社会となる時期が1年繰り上げられて2024年になっている。2070年には高齢人口が1747万人にまで増加する。生産年齢人口は10年に357万人ずつ減少し、2070年には1737万人になる。一対一の扶養構造ができるわけだ。
しかし、このような一対一の関係は巨視的な構造での話であり、実際の日常では1人が1人以上を世話し、扶養しなければならない状況にもなり得る。病気の家族の世話をする青(少)年、すなわちヤングケアラー(young carer)問題を代入してみなければならない。若い生産年齢人口が病気の生産年齢人口の世話をする可能性も無視できない。親密な関係においてやり取りされるケアが次第に少なるなるだけでなく、いざ青年たちが老人になった時には、そのような関係が終焉しているのではないかと心配になるのは事実だ。
ヤングケアラーの自助の集いで、私たちが老いた時にはどのようなケアを受けられるのかを想像してみたことがある。ケアの経験は少なくないのに、具体的な像が思い浮かばなかった。むしろ漠然としていた。今後、誰が今の私たちのように貧困と不安定な労働に耐えながら、病気や怪我をした人と共に生きようとするのか心配だったからだ。誰かの世話に努めた人が後になって世話を受けられないのは実に皮肉だ。
今日の女性高齢者の生活がそうだ。生涯にわたって世話することを押し付けられてきた女性たちが、老人になった時に世話をしてもらえない状況が蔓延している今日。いっぽう社会経済的地位のある人は、世話してもらったことがあっても世話しなくて済むという特権を持っている。日常から地位にあったケアを受け、老後は金でケアを購入する。ケアに「ただ乗り」しているのだ。ここから「将来」の楽観の隙間をこじ開けて入り込めるのではないだろうか。結局は社会保険もケアも、誰もが分担する社会連帯が作動しなければならないからだ。青年たちは無事に老人になれるのだろうか。そのためには公正と能力から脱して、連帯するしかない。
チョ・ギヒョン|作家 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )