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[コラム]下請労働に映し出される福島の10年

登録:2021-03-11 06:18 修正:2021-03-11 07:58
//ハンギョレ新聞社

 2013年、東京で郵便集配員として定年退職を迎えた池田実さんは、翌年福島に向かった。そこで約1年、東京電力の3次下請労働者として福島第一原発1号機と周辺地域の除染作業に投入された。43年間の郵便配達員としての経験からは絶対に知ることのできなかった世界が、そこにはあった。福島を離れる時、彼はもはや1年前の彼ではなかった。その後、自らが経験したことを『福島原発作業員の記』という本に著し、脱原発活動家の道を歩みはじめた。

 福島に向かう前、彼の頭の中には、原発事故からの復旧の力になりたいという考えと、稼ぐという考えが半分ずつあった。その考えは現地でも半分ずつ実現されている。福島を人が暮らせる場所へと戻すために必要だという作業をするにはした。派遣会社もその仕事を時給で計算し、毎月支払ってはくれた。しかし、現場は科学の代わりにどんぶり勘定が支配しており、被ばくに耐えた下請労働の代価は見えない手が何段階にもわたってピンハネしていった。

 作業に投入される前に池田さんと同僚たちは半日の教育を受けたが、それが全てだった。たとえ徹底的に教育を受けたとしても、現場で役立つかどうかは別だった。見えない放射能を完全に除去することはできなかった。森と野原と原発を除去することもできなかった。除染作業の目的は、手の届く部分だけを取り去って見えなくするようなものだった。取り去ると言っても散らばっていたものを集めて山のように積み上げておくだけで、処理手段がないのは使用済み核燃料と同じだった。

 どの現場でも東京電力の社員を見かけることはなかった。しかし「透明人間」は彼らではなく下請け労働者の方だった。「東電職員は現場の作業員からすれば雲の上の神のような存在」で、彼らの目には現場の実態も労働者も見えるはずがなかった。仕事で怪我をしたり死んだりするのも、彼ら透明人間だった。池田さんは白い保護服を着た仲間たちを「巨人に立ち向かって戦うシロアリ」と表現し、「今後50年間でいったい何百万人の作業員が必要となるのか」と問う。

 下請労働者がいなければ、原発は回せないだけでなく、火を消すこともできない。「危険の外注化」は原発の変更不可能な基本値だ。東京に戻った日の夜、年老いた下請労働者は福島から来た電気で明かりを灯す華やかな夜景に驚愕する。原発は空間まで外注化するのだ。ソウル夜景の原理も同じなら、10年になる福島の惨事は対岸の火事であるはずがない。

アン・ヨンチュン論説委員 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/986185.html韓国語原文入力:2021-03-10 15:00
訳D.K

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