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[コラム]合計特殊出生率0.8人、「人口の絶壁」現実のものに

登録:2020-12-21 03:40 修正:2020-12-21 10:04
//ハンギョレ新聞社

 「去勢アパート」。1977年に分譲された「ソウル盤浦(パンポ)住公アパート」(アパートは日本のマンションに相当)2、3団地には、しばらくこのような奇妙な名前がついてまわった。住宅申し込み制度を初めて導入した政府が、精管手術などの不妊手術を受けた者に対する優遇条項を設けたためだ。立地条件が良く、3810戸が分譲された同団地は、分譲申し込みが過熱する様相を呈していたが、「海外就業者で不妊手術を受けた者」「不妊手術を受けた者」「海外就業者」の順に当選の優先権が与えられた。住宅掛金に加入していても、政府が産児制限政策として奨励していた不妊手術を受けていなければ、当選圏には入れなかったという。この基準はその後、江西区禾谷(カンソグ・ファゴク)地区の「示範(シボム)アパート」などへと広まった。

 人口の爆発的増加に負担を感じた政府は、1960年代後半から「1家族に子ども2人」政策を実施した。「三千里は超満員」「娘と息子を区別することなく、2人のみ産んで立派に育てよう!」という産児制限のポスターが各路地に貼り出された。子どもが2人以下の家庭には勤労補償金を支給し、3人目からは家族手当も支給しなかった。保健所は避妊薬とコンドームを配布し、男性には精管手術を積極的に勧めた。1974年からは予備役訓練場で無料の精管手術を実施し、訓練免除などの特典も増やしていった。

 1980年代まで続いた強力な産児制限政策は奏功した。出生率は落ち、1990年代には人口減少の懸念が現実のものとなった。政府は1996年、出産奨励へと政策目標を転換した。「子どもが未来です」「寂しい一人っ子、心温まる2人きょうだい、心強い3人きょうだい」などの新たな標語が登場した。にもかかわらず、1人の女性が妊娠可能な期間(15~49歳)に産むことが期待される平均出生数である「合計特殊出生率」は、2002年に1.30人以下となり、「超少子化時代」が到来した。深刻さを認識した政府は2005年、タスクフォースを立ち上げ、対策に乗り出した。2006年には「少子高齢社会基本計画」が初施行され、「3人以上の多子女特別供給」などの、子どもが多い世帯に住宅当選の優先権を与える制度も導入された。30年を経ての反転だ。

 政府は2006年から今年までに、計225兆ウォン(約21兆2000億円)の予算を出産奨励政策に充ててきた。しかし、合計特殊出生率は2018年に0.98と、初の1人以下となり、2019年には0.92人を記録した。今年はさらに下がって0.8人台となると予測される。世界で最も低い数値だ。統計庁が先月25日に発表した「人口動向」によると、今年1~9月の出生児数は21万1768人、同期間の死者は22万6009人だった。人口の自然増加はマイナス1万4241人で、このままでは今年は人口が初めて減少する「人口の絶壁」の初年として記録されるだろう。政府は今月15日、「生後24カ月以前の乳児に対する手当の支給」「多子女住居支援基準を2人に緩和」などの対策を追加した。効果は未知数だ。いくら産めと言われても、厳しい環境でどうやって子どもを産み育てるのかという叫びは大きくなるばかりだ。

シン・スングン論説委員 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/975054.html韓国語原文入力:2020-12-20 15:14
訳D.K

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