先日、韓国放送(KBS)の番組「追跡60分」は、韓国社会の新たな陰、ひきこもりの中年の現実にスポットを当てた。見た目は平凡だが、実際は深い孤立の中で生きている中年たちの生き方についてだ。彼らがどのような理由でひきこもり暮らしを選んだのか、彼らの声を通じて韓国社会の断面を映し出した。ドキュメンタリーはひきこもりの中年たちの直面する経済的困難、心理的萎縮、そして家族関係の断絶などの複合的な問題を示すことで、この現象が単なる個人の問題ではないことを示唆した。
正確な統計は足りないが、専門家たちは韓国社会に少なくとも数万人、多くて数十万人にのぼるひきこもり中年が存在すると推定する。韓国社会は長きにわたって、ひきこもる人々のことを、特にそのような暮らしを選択した中年を無能だ、情熱がない、怠惰だ、責任感が足りない、社会性が欠如しているというふうに予断してきた。問題の原因を当事者に求める傾向が強かった。このような視線は固定化した偏見として作用し、ひきこもり中年たちが社会に出てくる機会を奪い、彼らをよりいっそう深い孤立へと追いやるという悪循環を生じさせた。
しかし、筆者が直接・間接的に接したひきこもり中年たちには、社会の一般的な視線とはまったく異なるケースが多くあった。彼らは決して無能ではなかった。むしろ優れた能力と革新的な考え方を持つ人も少なくなかったし、社会と人に対する深い関心と愛情を抱いていた。筆者が接した事例を紹介すると、40代後半のあるひきこもり当事者は、長きにわたって大企業で戦略企画業務を担ってきた人物だった。彼が組織の非効率を改善しようとして革新的なアイデアを提示するたびに組織内で対立が深まり、最終的に彼は半分は自分の意思で、もう半分は不本意に会社を去ることになった。個人や部署ではなく組織全体の成長のために示した改革案が、自らの地位を破壊したわけだ。
人間は不慣れなものに対して本能的に強い拒否感を抱く。これは、見慣れないものを脅威と認識し、避けようとするという認知偏向の一つだ。社会が規定した一般的な生き方の軌道を外れたひきこもり中年の存在は、多くの人々にこのような認知的な不快感を抱かせる。最終的に彼らは、非正常だとか問題のある存在などとレッテルを貼られる。ひきこもり中年は無能だと社会的に信じられるに至ると、私たちは彼らの別の面を見ようとせず、既存の観念を裏付ける情報ばかりを選択的に受け入れる。
本当は、彼らが孤立しているのは、社会が彼らを追いつめたからかもしれない。もしかすると私たちは、優れた能力を持っているにもかかわらず、既存の枠に収まらないという理由で、あるいは慣習に従わないという理由で、彼らを意図的に淘汰(とうた)しているのかもしれない。結局、本当に変わらなければならないのはひきこもる個人ではなく、彼らをひきこもりだと非難する韓国社会のシステムと文化、組織の構造と仕事のあり方だと思う。硬直した雇用システム、短期的成果至上主義の組織文化、そして多様性を許容できない社会全般の雰囲気が、彼らを日陰へと追いやっているのだ。
今や私たちは、ひきこもり中年たちを単なる社会の問題児とみなすのではなく、彼らの持つ潜在力を韓国社会の新たな動力として活用する方法を模索すべきだ。ひきこもり中年たちに対する私たちの視線と社会システムが変わる時、ようやく私たちは日陰に隠れた貴重な潜在力を発見し、さらには誰もが共に成長する包摂的な社会を作ることができる。今や私たちがまず手を差し伸べ、彼らを韓国社会の光の中へと招き入れるべき時だ。
キム・サンギュン|認知科学者・慶熙大学経営大学院教授 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )