「中国では朝鮮人として暮らしていたのに、韓国に来たらしょっちゅう中国人だと言われるんですよ」。中国朝鮮族の教え子が愚痴るように言った。「韓国人を差別する日本で堂々と生きていこうと思って『本名宣言』までしたのに、韓国に来たら言葉がおかしいと言って『半日本人』扱いされるんです」。在日同胞3世の教え子も心の傷を打ち明けた。「高麗人の母親と幼い頃に韓国に来て(小中高と)学校に通ったんですが、父親がアルメニア人なので、同胞ではないから出国しろって言うんです。そのくせ、父親が高麗人で母親が他の民族の友達は同胞だと言うんです」。高麗人(旧ソ連地域に暮らす朝鮮半島出身者とその子孫)4世の青年が理解できないと言って憤った。北朝鮮の軍人たちの死体の写真を見せながら、「お前、こんなの見ると悲しいのか」と言って嫌がらせする職場の同僚のせいで腹が立ったという脱北青年もいた。今日、韓国社会で共に暮らす他国出身の同胞たちがよく遭遇する重い現実だ。
国境を越える韓民族の移住と離散の歴史は、朝鮮王朝末期に生きる道を求めて満州や沿海州、ハワイやメキシコへと旅立った人々から始まった。日帝によって土地を奪われて北間島(プクカンド)や西間島(ソガンド)に移住した人たち、独立闘争をするために海外に亡命した人たち、侵略戦争の道具として徴兵、徴用で、あるいは慰安婦として、サハリンや北海道、九州の炭坑や南太平洋の島々に連行された人たちが後に続いた。日帝が敗れた時、当時の韓民族の構成員の約5分の1は朝鮮半島を離れていた。解放後も彼らの多くは祖国に帰れず、周辺の大国の国民になったり、無国籍の少数民族になったりした。
新たな国境と東アジアの冷戦体制に阻まれて帰れなかった人々は、居住する国の性格によってそれぞれ違う名で呼ばれる存在となった。「在日同胞」は日本帝国の「臣民」として戦場や工場へと連れて行かれた人々だ。戦争に敗れると、日本は彼らを他民族出身だとして「外国人」「第三国人」「難民」の身分とした。日帝がサハリンに送った韓人たちは、ソ連の地となったかの地で「無国籍者」として抑留された。日本人はみな本国に帰ったのに、「サハリン同胞」は帰れなかった。ロシア沿海州から中央アジアの砂漠へと強制移住させられた「高麗人」は、ソ連の解体によって独立した国々の少数民族となった。満州に行った人々は中華人民共和国の樹立に伴って「朝鮮族」という少数民族の中国国民となった。
単一民族神話によって「韓民族」は同質の血統、言語、歴史を持つ一つの文化集団と俗に考えられているが、実際は様々な文化的特性を持つ。特に、解放後に分断された二つの国家と、朝鮮半島の歴史に介入した周辺の大国に編入されて暮らしてきたことで、それぞれ異なる「国民」としてのアイデンティティを持つようになった。「韓民族」とは、「民族」のアイデンティティを共有しながらも、異なる歴史を経験し、言語や文化の多様性も同時に持つようになった人たちだ。
冷戦終結後、韓民族の構成員たちは様々な境界を乗り越え、交流と再移住を行っている。現在、韓国社会に居住する外国人の約半数は、周辺の大国の少数民族として暮らし、最近になって再移住してきた韓民族の同胞たちだ。しかし、彼らに対する法規定だけでなく、彼らの社会的地位も大きく異なる。北朝鮮出身の住民とサハリンから帰還した高齢者は直ちに大韓民国の国民となるが、その他の同胞は出身国の経済力によって様々な規制と差別の対象となる。さらには、法的に国民資格を回復した同胞でさえ、依然として「私たち」ではなく「彼ら」、「周辺人」、「境界人」、「2等市民」と考えられている。同胞に対する差別は他の外国人に対する差別と似ていながらも、いっそう深刻な傷を残す。韓国社会において彼らが主観的に感じる差別は、多文化移住民集団の中で最も強いという。何と申し訳ないことだろう。
不幸な20世紀に、多くの韓民族の構成員は植民と戦争、冷戦と離散によって、屈折した人生を強いられながら生きた。しかし彼らは、単に国境に閉じ込められた被害者だったわけではない。無数の人々が国家の統制を乗り越えて、戦略的かつ実践的に国境を行き来し、国家を超越した民族の歴史を切り開いてきた。もはや民族、国民(国家)、文化を同一視し、その一致を理想化してきた単一民族国家の固定観念と、国家を中心とする偏狭な「国史」概念は克服すべき時期に来ている。
境界をまたぐ超国家的移動が普遍化しているこの時代に、民族、国民、住民の複合的性格と多様なアイデンティティを新たに認識し、尊重することは非常に重要だ。韓民族の超国家性に対する理解と多文化アイデンティティの尊重は、平和な共存のための基本的な要件だ。これは韓国と北朝鮮、両国の構成員の相互理解と文化統合のためにも絶対に必要となる。
チョン・ビョンホ|漢陽大学文化人類学科名誉教授 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )