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[寄稿]どうしてあなたたちは黙っているのか

登録:2020-09-30 08:42 修正:2020-10-01 19:43
[徐京植コラム]長い道ー再びアレクシエーヴィッチについて
//ハンギョレ新聞社

「いま、またもや正体不明の何者かがドアの呼び鈴を鳴らしている……」

 去る9月11日、日本ペンクラブによって発表されたスヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチの「緊急メッセージ」はこの一行で結ばれている。どんなに孤独で恐ろしいことだろうか。私は、困ったような微笑を浮かべながらもつねに深い憂いに満ちていた彼女の表情を思い浮かべる。自らがインタビューした何百人という「小さな人々」(庶民)がそうであったように、彼女自身がいま延々と続く苦難と苦悩の中にいるのだ。

 私と彼女は今までに日本で2回、テレビ番組のために対談している。最初は2000年、タイトルは『破滅の20世紀―スヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチと徐京植』、2度目は彼女のノーベル賞受賞の翌年2016年である(『こころの時代ー「小さき人々」の声を求めて』)。この時は福島の原発事故被災地をともに歩いた。そのことは以前本紙のこの欄に書いたことがある(「[寄稿]アレクシェーヴィッチ」2017年1月3日付)。

 2016年に対談した時、ついつい話に熱が入って常備薬を飲むタイミングを逃した彼女は、辛そうに対話を中断して休憩をとった。疲れ果てていたし、病を抱えていた。その彼女のドアをいま「正体不明の何者か」が叩いている。私は晩年をナチによる圧迫と監視の下で過ごし、ナチス・ドイツ降伏の日を見る直前に孤独に病死した女性芸術家ケーテ・コルヴィッツを連想したりもしている。

 アレクシエーヴィッチは2015年のノーベル文学賞受賞者である。いまはベラルーシ・ペンの会長であり、ルカシェンコ政権を批判したため弾圧され国外に逃れている野党候補者や市民団体の代表らが設立した「調整評議会」という組織の幹部でもある。9月9日付で発せられた彼女の緊急メッセージは次のように始まる。

 「私と考えをともにする友人は、『調整評議会』の幹部会にはもはや一人も残っていない。皆、獄中にあるか、国外に追い払われたかだ。今日は最後の一人、マクシム・ズナークが逮捕された。最初に私たちの国が奪い取られた。いまは私たちの最良の人たちが奪い去られていく。しかし、無理やりもぎ取られた仲間の代わりに、別の何百人もの人たちが集まって来るだろう。立ち上がったのは『調整評議会』ではない。国が立ち上がったのだ。…」

 ベラルーシはロシアとEU諸国とのはざまにあって、1994年以来、26年に及ぶルカシェンコ大統領の強権政治がつづいいる。その間、アレクシェーヴィッチの代表作『チェルノブイリの祈り』も国内での出版を差し止められるなど、言論表現や思想信条の自由も制限されてきた。ルカシェンコは1994年に初当選、1996年には任期を延長、2001年に再選、2004年には憲法の3選禁止条項を撤廃、2006年、2010年、2015年と当選、2020年に6選を果たした。著書『セカンドハンドの時代』にアレクシェーヴィッチが書いたのは、2010年選挙の際に不正選挙反対に立ち上がったため人間性を根本的に辱める暴力や虐待を加えられた若い女性の証言である。

 2020年8月9日の大統領選挙では、中央選挙管理委員会はルカシェンコの6選を認定したが、不正選挙を訴える市民と警官隊との間で衝突が発生し、8月10日には数十名の死傷者が出た。ルカシェンコ当選に抗議する参加者10万人級の大規模デモが続いた。ルカシェンコは9月14日、ロシアのソチに飛んでプーチンと首脳会談を行い、改めてプーチンの支持を取り付けた。

 ここに記したベラルーシの現代史に、韓国の市民の多くは、一種のデジャヴュ(既視感)を感じるのではないだろうか。韓国社会もまだまだあの軍事独裁時代の悪夢から醒めていない。しかし、目を世界に向けると、いままさに、あのような悪夢の中でもがいている多くの人々がいることがわかる。もちろんベラルーシだけではない。新型コロナ蔓延の陰で、世界各地で政治権力のあからさまな暴力が吹き荒れている。私たち人類は、ここで道を誤ると、またしても暴力の時代へと引きずり下ろされるかもしれない。

 アレクシエーヴィッチは中世から、帝政時代、社会主義革命とその後、さらに現代まで続くロシアの「小さい人々」(民衆)の長い苦悩の歴史を語る。しかも高いところから公式や法則を語るのではなく、しばしば矛盾に満ちた民衆の地声そのままに語るのである。

 ヨーロッパに向かう飛行機がウラル山脈を越えると、眼下に平坦な樹海が広がる。彼女の著作を読むと、私はその樹海が目に浮かぶように感じる。果てしなき苦悩の樹海である。20世紀だけでも、そこは独ソ戦の主戦場となり、村々は焼き払われ無数の人々が残酷に殺された。ユダヤ人住民に対する虐殺もあった。歴史家のティモシー・スナイダーは、ドイツとロシアの間に位置する、北はバルト諸国から南はウクライナに至る広大な地域を「ブラッドランド」(流血地帯)と名づけた。そこで生まれ、そこで生きる人々。アレクシエーヴィッチの著作にはそんな人々の声が、これでもかというほど、満ちている。

 2016年の対談の終わり近く、私はこんなことを言った。「私があなたという人間に畏怖の念を感じるのは、『それでも信じる。時間は100年かかってもそうなることを願う。願い続ける』とおっしゃっていることです。セカンドハンドの時代には、かつてのような理念は存在せず、自らの欲望、あるいは、力だけが真実だという状況が、ロシアにおいても、アメリカにおいても、日本においてもどんどん進行している。『それでも続ける』とあなたがおっしゃるその確信の根拠にはどういうものがあるのでしょうか」

 彼女は言葉を選んで答えた。「私が唯一知っているのは、これが長い道だということです。これが私の…自分に対しての答えです。我々一人一人が、自らの小さな仕事をすべきであり、善の側にいるべきだと思います」

 正直のところ、私は彼女のこの言葉に十分に納得したとは言えない。しかし、それでもつねに「善の側」にいようとする人々が、韓国にも、ベラルーシにも、世界各地にいることは知っている。いま、かりにその人々が絶滅されるとすれば、それは人間の希望そのものの絶滅であることも知っている。

 アレクシエーヴィッチのメッセージは最後に次のように呼びかける。「私は、ロシアのインテリゲンツィアに――古い習慣に従ってそう呼ぶことにしよう――呼びかけたい。どうしてあなたたちは黙っているのか?支援の声がめったに聞こえてこない。小さな、誇り高き国民が踏みにじられているのを目の当たりにして、どうして黙っているのか?私たちはいまでもあなたたちの兄弟なのに。自分の国民にはこう言いたい。愛している。誇らしく思う、と」

 「どうしてあなたたちは黙っているのか?」という問いかけは「ロシアのインテリゲンツィア」にだけ向けられているのではない。

//ハンギョレ新聞社

徐京植(ソ・ギョンシク) |東京経済大学教授 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

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