政府与党が、刑事事件の容疑事実公開の禁止を強化するという。パク・サンギ長官時代に法務部が作った「刑事事件の公開禁止などに関する規定」草案は、既存の「人権保護のための捜査公報準則」に比べ、公開禁止を大幅に強化する内容が盛り込まれている。容疑事実公開をめぐる論議は、昨日今日にはじまった話ではない。特に2009年に盧武鉉(ノ・ムヒョン)元大統領の逝去後に公報準則を作ったものの、事実上有名無実化して運用されてきた。被疑者の人権は保護しなければならないが、国民の知る権利も重要だという名分も強かったためだ。
既存の準則が死文化した状況で容疑事実がむやみに公開され、人権を侵害することを防がなければならないのは当然だ。しかし、いわゆる「チョ・グク長官疑惑」の捜査の真っ最中に、きちんとした意見集約の手続きもなしに法務部が訓令を作成するというのは適切ではない。草案の内容も国民の知る権利の保障には不十分に見える。
法務部の草案をみると、起訴以前での容疑事実の公開禁止を原則とするのは、既存の公報準則と同じだ。刑法126条「容疑事実公表罪」に則ったものだ。ただ、準則は6つの例外事由を設けているが、草案ははるかに広範囲かつ具体的に禁止行為を挙げている。「重大な誤報防止」の目的など例外事由に該当して容疑事実を公開するにしても、公報資料による公開を原則とし、口頭説明が認められる場合にも指定された公開の場所で行うようにした。起訴後も、被告人の名前や罪名、起訴日時などのほか、起訴事実や犯行の経過などは公開できないとしている。検事および捜査官がマスコミと接触することを禁止した。知る権利の保障には極めて不十分な内容だ。検察・メディアの意見集約を経ていない草案段階とはいえ、行き過ぎた内容だ
韓国の検察史において、権威主義政府時代の検事たちによる意図的な容疑事実公開は、「外圧」を突破する有効な手段としてそれなりの正当性を持った。しかし、いわゆる「畦の時計」事件(盧武鉉元大統領が賄賂として時計を受け取り、それを畦に捨てたとされる容疑。後に担当検事がでっちあげであったことを暴露した)以降、容疑事実を流出させることは国民的な怒りを呼び、検察自らが公報準則を作るまでに至った。
最近、「チョ・グク長官疑惑」事件でも容疑事実公開の議論が少なくない。与党が禁止規定の推進により積極的に乗り出すのは、そのような状況と無関係ではなさそうだ。国会聴聞会など政治日程に飛び込んだ検察の自業自得の側面もあるだろう。にもかかわらず、今回の方針は時期や手続きなど、さまざまな面で不適切に見える。推進するにしても、広範囲な世論の集約など、より慎重にアプローチする必要がある。