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[寄稿]天皇は何を象徴するか

山口二郎・法政大学法学科教授//ハンギョレ新聞社

 今年4月30日に明仁天皇が退位し、5月1日に今の皇太子が新天皇に即位する。それに伴って、新しい元号が始まる。新元号は4月1日に公表されるので、日本では新しい元号が何になるか予想することで盛り上がっている。

 元号とは、歴史の流れを君主の治世によって、本来連続する時間をぶつ切りにするものである。日本の役所の文書はいまだに元号を使っていて、経済、社会の長期的なデータも元号で表記している。前の元号の昭和X年が今から何年前か、すぐには分からないので、とても不便である。新しい元号が実施されれば、その不便さは倍加するだろう。

 しかし、多くの日本人はその不便さを喜んでいる。今時、君主の治世によって時代を区切るなどということをしているのは世界中で日本だけである。その時代錯誤を日本らしいユニークさと喜んでいるのだろう。

 もちろん、天皇は国政に関する実質的な権力を持っていないので、新天皇の即位が世の中を実質的に変えることはあり得ない。しかし、天皇の代替わりによって新しい時代が来るという議論が、日本には満ち溢れている。今回の代替わりは、明仁天皇が元気なうちにバトンタッチするということで、喪の要素がないので、国民は能天気に「新時代」の到来を騒げるのだろう。

 それは、時代をリセットし、過去を流し去りたいという国民的願望を反映しているといいうこともできる。次の天皇の時代になっても、人口減少の趨勢は止まらないし、原発事故の傷跡は残る。もちろん、それらの困難な課題を直視して、次の時代を切り開こうというまじめな議論もある。しかし、その種のまじめな議論を続けることはかなりつらい作業であり、知的な持続力を必要とする。実際には、そのような辛気臭い議論から逃げたいという感覚こそ、普通人のものだろう。そして、天皇の代替わりは、そのような逃避の格好の契機となる。

 平成の30年は、バブル経済の崩壊、阪神淡路大震災、東日本大震災、人口減少社会への移行など、日本の経済と社会の衰弱が始まる時代となった。自然災害は予期不能だが、人口減少やGDPの収縮は予想できた問題である。予想できたにもかかわらず、災厄を回避するための政策を打たなかったのが日本の特徴である。

日本国憲法第1条は、天皇は日本国の象徴と規定している。一歩踏み込んで、天皇制は日本のどのような特質を象徴しているのか、ここで考える必要がある。第2次世界大戦における敗北の後、昭和天皇は絶対君主から象徴へと性格を変えて生き延びた。残念ながら、その象徴は、戦争に対する責任を忘却する無責任さの象徴であった。そのことへの反省もあってか、明仁天皇は、憲法が規定している平和主義と民主主義の象徴として、務めを果たしてきた。それゆえ、憲法改正を志向する安倍晋三政権との間で軋轢を起こしてきた。政治に深い関心を持つ者が明仁天皇の言葉を読めば、言外に現政権の改憲志向を戒めるメッセージを読み取ることができる。しかし、平和と民主主義の擁護を天皇の権威を借りて主張するというのは倒錯している。

情けない世の中を作ったことに対して、社会を構成する者が自分のせいだと責任をかみしめなければ、世の中を改革することはできない。主権者意識とは、そのようなものである。日本人の多数派が、天皇の代替わりが新時代をもたらすと騒ぐだけで、日本の難題から目を背け続けるならば、日本の未来はない。天皇制が過去の忘却、歴史のリセットを象徴するものにならないよう、議論を続けていかなければならない。

山口二郎・法政大学法学科教授(お問い合わせ japan@hani.co.kr )

韓国語原文入力:2019-03-03 18:15

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/888093.html

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