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[寄稿]市民の成熟へ

登録:2017-06-11 19:45 修正:2017-06-12 08:08

 この3か月ほど、日本では政治腐敗が次々と明るみに出て、安倍政権は大きな批判を浴びている。1つは、森友学園疑惑である。安倍首相とも親しかった人物が経営し、愛国主義的な教育を売り物にしていた森友学園という学校法人が小学校を開設するにあたって、国有地が大幅に値引きされてこの学校に売却されたという一件である。この値引きについて政府は正当な根拠を示していない。もう1つは、加計学園疑惑である。首相が腹心の友と呼ぶ人物が経営している学校法人が獣医学部を申請するに際して、内閣府は他の大学が申請できないような条件を後付けで決めたという一件である。いずれの事例も、首相と親しい人物に対して特別な便宜が供与されたのではないかという疑惑である。一連の疑惑は、安倍首相あるいはその側近が公の権力を私物化していることをうかがわせる。

 権力の乱用についてはほかにも深刻な問題がある。テレビにしばしば登場し安倍政権を擁護していたジャーナリストが女性を強姦し、逮捕状が出たのに、警視庁の上層部が逮捕を止めた。これは極めて異例な出来事であり、政権中枢の関与があったのかどうか解明することが必要である。

 また、釜山総領事が私的な会話の中で安倍政権の対韓政策に疑問を投げかけたことが政府に伝わり、総領事を更迭されるという事件もあった。少女像設置をめぐる日韓の摩擦の中で本国に召還された総領事が、日韓関係について独自の見解を持つのは当然である。政府はそうした様々な意見を集約して政策を立てるべきであり、見解が異なるからといって総領事を更迭するのはヒステリックな反応である。

 これらの事例を紹介すると、日本は権力が横暴を極める、息苦しくて不公正な社会になったという印象を与えるだろう。実際、今の日本の政治は、安倍一強体制といわれている。野党は国会で追及するものの、多勢に無勢で有効なチェックは働かない。メディアも、親政府と反政府に二分され、政府の行き過ぎを批判する大きな世論は形成されにくい。自民党の中でも首相に意見する非主流の政治家はほとんど存在しない。小選挙区制が導入されて20年以上たち、自民党の派閥はかつてのような凝集性を失った。非主流派の政治家が権力者を諫め、政治のバランスを保ったのは遠い昔である。

 専制政治を防ぐ最後の砦は市民の力である。この点で、日本と韓国の落差は大きいように思える。朴槿恵前大統領時代の政治腐敗に対して、韓国の人々は敢然と立ちあがった。市民の正義感とエネルギーが弾劾をもたらしたということができるだろう。日本でも市民による批判の運動は存在するが、韓国に比べれば静かなものである。国会周辺に連日数万人の市民が集まれば、政権はもっと謙虚になるだろう。やはり、自力で民主化を勝ち取った韓国の人々の政治への意欲と運動力は優れていると羨ましく思う。

山口二郎・法政大学法学科教授 //ハンギョレ新聞社

 もちろん、隣国をうらやましがるだけでは能がない。安倍首相は5月3日の憲法記念日に、2020年から新しい憲法を実行したいと表明し、これからの2年ほどの間、憲法改正論議が盛んになりそうである。特に焦点となるのは、戦争放棄、戦力不保持を規定した9条である。安倍首相は9条に自衛隊の存在を明記するという新しい提案をした。9条を変更することは、戦後70年続いた平和国家というアイデンティティを放棄するものだという反対論も大きい。日本でも各地で憲法と平和を守るための運動が立ち上がっている。安倍首相が具体的な改憲の提案をしたことで、主権者として憲法をどうすべきか、考えることを迫られている。この憲法論議を、日本人が市民として成長するための機会としたい。

山口二郎・法政大学法学科教授(お問い合わせ japan@hani.co.kr )

韓国語原文入力:2017-06-11 20:22

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/798344.html 原文:

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