本文に移動

[寄稿]民主政治の危機と民衆

 2016年は世界中で民主政治の受難の1年となった。イギリスにおけるEU離脱の国民投票、アメリカにおけるドナルド・トランプ大統領の誕生、イタリアにおける憲法改正国民投票の結果を受けたレンツィ政権の崩壊。そして、韓国におけるパククネ大統領の弾劾。事情はそれぞれ異なるが、民主的に選ばれた政権が不安定化している。

 欧米における政治の動揺は、かつて社会の主流をなしていた中間層が、政治・経済エリートの進めるグローバル化路線に対して不満を爆発させたことが原因となっている。資本や労働力の移動が自由になると、安定的な雇用が失われ、生活不安が高まる。その不安を紛らせるために、とりあえず孤立や閉鎖のメッセージに飛びつく。そうした不安は理解できるが、エリートへの反発がキワモノのような指導者への支持、さらには多元的で寛容な社会の破壊につながることには大いに警戒しなければならない。それはまさに、1930年代のドイツや日本がたどった破滅の道だからである。

 韓国の場合は、かなり事情は異なるように見える。朴大統領の側近が権力を私物化して私利私欲を図ったことに対する国民の怒りが、議会に弾劾を決議させた。ソウルの中心部を数十万の市民が埋め尽くし、大統領の退陣を求めて整然と行動する光景は、日本から見ると驚異であった。市民の政治に対する正義感と情熱は、あえて言えばうらやましく感じられた。

 日本では民主政治を選挙と議会における多数決に限定する見方がまだ存在する。選挙でえらばれた政府に対してデモによって反対の意思を表明するのは、民主主義的でないなどという批判もある。また、安倍政権の進める政策、年金の切り下げ、カジノの解禁、原発再稼働などについて、世論調査では過半数の国民が反対している。しかし、強引にその種の政策を推し進める安倍政権に対する支持率は、50%から60%に達する。政策に不満はあるが、より良い政府は期待できないというのが日本の民意である。民主主義を複数の政党から選ぶことに限定する日本の考え方からは、そうした受動的で、諦めやすい市民しか生まれてこない。極めて安定した安倍政権は、現代世界の中では優等生に見えるのかもしれないが、それ日本人の諦めの故であり、民主政治の停滞の表れである。

 民主主義で市民が政治に参加する経路は多様である。選挙でえらばれた為政者といえども、政策を誤ることもあるし、腐敗することもある。そういう場合には、市民が行動を起こして為政者を批判することも、民主主義の重要な構成要素となる。韓国では、1980年代の民主化の経験が世代を超えて受け継がれているのだろう。

山口二郎・法政大学法学科教授 //ハンギョレ新聞社

 民意を忘れた為政者を退陣させることはある意味で容易なことである。そのあとに、民意を受け止めた有能で責任感のある為政者をいかに選び出し、国の統治を任せるか。そちらの方がはるかに困難な課題である。東アジアにおいてともに民主政治の進展に向けて苦労を重ねている隣国として、韓国の人々の今後の取り組みに注目したい。試行錯誤を経ながら、市民の努力でより良い政治を作り出すというモデルが同じ東アジアの国で生まれるならば、諦めが蔓延する日本にとってもよい刺激となるだろう。

山口二郎・法政大学法学科教授(お問い合わせ japan@hani.co.kr )

韓国語原文入力:2016-12-18 17:39

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/775107.html 原文:

関連記事