何か大変なことが起きれば大統領を恨むというのは、独裁国家や社会が未分化な後進国の現象だ。 しかし、セウォル号失踪者の家族たちが大統領府へ行って座り込みをしたのは、彼らが‘未開国民’であったからではなく、この政府がすべてのことをそうしてきたためだ。 もちろん今回のセウォル号事故の原因は「過去からの積弊」である点はある。 しかし300人余を水葬させた救助過程での失敗は別だ。
戦争が起きれば戦闘現場外で民間人と軍人が色々な理由で死ぬことがありうる。 しかし捕虜や民間人が軍人に大量且つ集団的に殺害されることは、戦争という状況自体からもたらされるのではなく、普段の該当軍隊組織の運営論理と指揮官の指揮方針によって発生する。 どんな指揮官も民間人を殺せとは命令しないだろう。 しかし彼が「手段と方法を選ばずに戦果を上げよ」と命令し、戦争規範を使い古した履物のように投げ捨てて、軍隊の究極的な存立目的が国民の生命と安全保障にあるということを部下に強調せず、責任意識や人権尊重精神は全く備えていない忠誠派だけを抜てきして、彼らとだけ疎通するならば、その軍隊は国民にとって乱暴な凶器に急変する。
すなわち強力な権力を持つ軍指揮官が‘不作為’、すなわち作戦時の民間人被害を事前に予防したり危険を減らすことができる位置にありながらも、そのようにしなかったり、そのことを軽視したり、最初からその問題に対する介入をあきらめることによって、数多くの人命を犠牲にすることになりうる。 特に部下が指揮官の意中、すなわち‘不作為’の信号を見て動く独裁国家や軍隊のような組織では、部下のすべての行動は指揮官の責任に帰する。
今回のセウォル号惨事で救助に責任を持つ海洋警察は軍隊のような組織だ。 彼らの「理解できない」すべての行動の内、そのどの一つとして現場指揮官の独自の判断からは出られなくなっている。 彼らの指揮部任命、組織運営、普段の訓練、士気、使命感、責任意識などの大部分は、この政府の政策優先順位選択の結果だ。
ところで朴槿恵(パク・クネ)政府は87年以後、そのどの政府よりも軍隊式に政府を運営してきた。 私は政府の長官や与党の誰かが朴槿恵大統領の方針に異見を提示したという話を聞けなかった。 長官たちはただ書き写すばかりだったし、政府のすべての機関はもちろん民間報道機関も全て朴大統領の口元だけを見つめた。 権限が大統領府に集中すれば、政府のどんな部署も独自に判断したり行動しない。 最高位層は大統領だけに忠誠をつくせば席が保障されるということをよく知っているので、儀式と報告、自分の組織保存だけに重点を置いたわけで、国民の生命と安全は眼中になかった。
朴槿恵大統領は人事権行使の責任、国民の安全よりは‘政権の安全’のために災難救助指揮を放棄した責任、国家の基本責務を放棄して私企業の利害に国民の安全と生命を任せて監督しなかった責任、言論を政府の広報手段として緊急状況で正確な報告、円滑なコミュニケーションを成り立たなくさせた責任、真正性ある努力よりはイメージと演出に重点を置いて遺族と国民の傷をさらに深くした責任から全く自由になれない。
権限と情報、検察権まで独占した政府ならば、自ら責任も負わなければならない。 大統領が自身の責任を強くもみ消して、末端指揮官だけを犠牲にするならば、この国家は野蛮の天地になるだろう。 今がそうではないのか? 海洋警察の‘メンタル崩壊状態’は朴槿恵政府の‘不作為’の結果だ。 この事故の原因は非常に複雑で重層的だが、救助失敗の責任を飛び越えてシステムを云々することはできない。
キム・ドンチュン聖公会大社会科学部教授